四百五十二話 海峡の夏

海辺の駅から商店街を抜けた坂の手前に古ぼけた一軒の饂飩屋が在る。
庭仕事に追われた昼時などにはよく出前を頼んだりしている。
ここんちの亭主にとっては、饂飩は手打ちであることが当り前なんだろう。
わざわざそうだとは謳ったりはしないが、正真正銘の手打ちで旨い。
今時、手打ちの饂飩を出前してくれる飯屋なんてないんじゃないかなぁ?
義母も晩年この味に救われた。
食にはうるさく店屋物で済ます横着なひとではなかったが、患ってからはそうも言っておれない。
渋々取った出前だったが、馬鹿に出来ないと機嫌良く食べていた姿を思い出す。
もう最期のほうは、声を聞いただけで相手が知れるほどになっていた。
義母が逝った後も、いろいろとよくしてくれる。
先日、久しぶりに注文した丼物を届けに来て。
「これ、良かったら食べてぇ」
無口な亭主はいつもこんな調子で、なにとは言わず鉢を差出す。
「旬やから、煮付けてみたんよ」
明石蛸の煮付けだった。
淡路島と明石に挟まれた海を明石海峡と呼んでいる。
航行には難所だと畏れられているが、漁場としては豊かで獲れた魚介は高値で取引される。
なかでも、明石鯛と明石蛸は、明石とあたまに掲げるだけに別格品だ。
明石蛸は、一時期絶滅に瀕したことがある。
地元漁師は、産卵用の蛸壺を仕掛けるなどして、今日まで代々必死に漁獲を守ってきたのだそうだ。
潮の流れが速い難所の海底に棲む明石蛸は、がっしりとした図体で引締まった身をもつ。
また、豊富な海老や蟹を食するため甘みが強い。
もっとも旨いといわれるのが五月から七月で、歯応えや甘みが増す。
饂飩屋の亭主は、そんな明石蛸を丸々一匹煮付けて持ってきてくれた。
もちろん刺身も旨いが、やはり煮付けは格別だ。
甘辛い濃厚なタレが、芯まで染み渡るまで煮付けるのだが、塩梅は難しいのだと思う。
甘すぎても、辛すぎても、硬過ぎても、また軟らか過ぎてもいけない。
亭主は、地元の飯屋だけにそこはよく心得ていて。
そのうえ、飯をつくるのが、なにをしている時よりも楽しいというのだから心強い。
実際、どんな料理屋で喰うよりも旨かった。
それにしても、丼二杯注文されて、明石蛸一匹付けたんでは一文の儲けにもならないだろう。
どういう了見なのかは計り兼ねるけれど、有難いはなしだと想う。

思わぬ施しで、海峡に夏が近いのだと知った。

 

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