三百八十二話 石の声を聴け!

“ Garment Hunter ”
ほんとは、そんなカッコ良いものではないのだけれど。
自身の稼業が何か?と尋ねられると、ある意味で的を得ているかもしれない。
長い歳月モノを巡って彷徨ってきたような気がする。
いろんな話を聞いて、いろんなものを見て、北半球の様々な場所を渡り歩いたこともある。
ひととの出逢いもまたモノを通してだった。
モノの世界には、性別も、年齢も、学歴も、素性も、国籍も、いかなる隔たりも存在しない。
モノ自体の存在をどう捉えるか?
つまり、己の内に於いてその存在を是とするか?非とするか?それだけの事でしかない。
ただ、平等だが非情でもある。
人格者だろうが、美人だろうが、賢者だろうが、富豪だろうが、なんの担保にもならない。
創られたモノが非となれば、創った者への興味も沸かないし、結局どうでもよい存在となる。
では、あなたにとって究極の是となるモノとは如何なるモノか?と問われれば。
素材を熟知して、素材に逆らわず、簡素に創られたモノ多分そう答えると思う。
天正時代、安土城築城の際に石積みを担った石工集団が存在した。
穴太衆と呼ばれ、その天下に知られた技は一四代経た今も滋賀県大津市の粟田建設に継がれている。
穴太衆の石積みの奥義は、文書には記されてはいない。
すべてが口伝である。
粟田建設の一四代石匠粟田純司会長の言葉でしか知ることは叶わない。
“ 石の声を聴けという言葉がある ”
“ 石がどうして欲しいかを深く考えてこそ、良い仕事ができる ”
これは、素材を活かすというモノ創りの基本概念に於いて、全ての分野に通じる教えだと思う。
だが、実際にモノで表現するとなるとなかなかに難しい。
この難題に一晩で応えたひとがいる。
後藤惠一郎さんである。

 

“ 䕃山さんのおしゃっておられることは、こういうことでしょ? ”
“ これは商品にはなりませんけど、問答を解く糸口にはなると思います ”
送られてきたのは、鹿革の筆記具入れ。
鹿革をまったく剥かず、厚いところ薄いところを用に応じて型に嵌めていく。
と言うより、鹿革の個性があるべき型に導いていくといった方が良いかもしれない。
もちろん型紙といったものもない。
縫い目も一定ではない。
一見するといい加減な仕事に見えるが、鹿革の気性に息を合わせたような運針である。
そして、燃やせば鹿の灰しか残らない。
ここんとこ、つまらない話を聞かされ、つまらないものを見せられ、正直うんざりとしていた。
くだらねぇモノを創るくらいなら寝てた方がましだろう。
そう不貞腐れていたところだったが。
久しぶりに気が晴れるモノを目にした。
この技法を DEER SUCK の製作に用いることは出来ないだろうか?
どうしてもやってみたくなる。
失礼を承知で後藤惠一郎さんを誘う。
“ いいですよ、久しぶりに遊びますか? ”
“ 僕は、䕃山さんだったら最期の最期まで付合いますよ”

二◯年前、一着の鹿革シャツがなければこの方との御縁もなかっただろう。 

 

 

 

 

 

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