五十話 天使の過ち

自宅の玄関を入ると、薔薇の光を携えた天使が迎えてくれる。
十九世紀の終り頃、英国で創られたと訊いた。
まぁ、骨董屋の売り口上を頭から鵜呑みにする馬鹿もいないが。
多分、百年かそこらくらい前に、ブロンズの天使本体が鋳造されたのだろうと思う。
薔薇を象ったシェード、真鍮製のがく、吊り下げ用の鎖、もともとは何かの一部だった。
古いというだけで、時代も、材質も、職人も、異なるガラクタである。
ソケットを止めるネジの腐蝕具合からすると、一九二〇年か三〇年代頃の英国。
目先の利いた道具屋は、ガラクタを眺めながら思ったはずである。
⎡何とかどこかの馬鹿に、このガラクタを高値で売りたい。⎦
⎡喰い飽きたフィッシュ&チップスじゃなくて、ロースト・ビーフを喰うためにも。⎦
英国流伝家のいかれた舌でも、同じ喰いものばかりはさすがに辛い。
斯くして、かつてのガラクタは、このようなランプへと姿を変えた。
およそそんな筋書きじゃないのかなぁ。
“ Reproduction Antique Garments ”
時代を越えて、当初の目的とは異なる製品へと生まれ変わる。
美術品にはない、所帯染みたいい加減さが良い。
僕は、調度品を考える時、少し家の雰囲気とはそぐわないモノを選ぶ事にしている。
不思議なもので、暮らしの中で年月を重ねると少しづつ馴染んでくる。
端から合ったものを据えるのと比べて、見飽きない。
思いもしない面白い効果に恵まれたりもする。
時折、しくじる事もあるが、それはそれで良い勉強と諦める。
“ 天使のランプ ”
気に入っている理由がさらに幾つかある。
こいつ、何もしないのに、灯りがついたり、つかなかったりする。
多分、接触不良なのだと思うのだが。
天使のその日の機嫌を占うのも一興と、直さずにいる。
馬鹿な話だが、灯りがつくと、何か良い事がありそうで気分が良かったりする。
加えて、この天使の顔が気に入っている。
助平そうな顔をしている。
基督世界には、善良な天使と悪党の天使がいるらしい。
創世記では、グリゴリという二百名もの天使が、人間の娘とエッチする始末だ。
キューピットという職務を放棄した挙げ句、矢に代って自分が突っ込んじゃったらしい。
しょうがねぇな。
という話から、我家の天使、名を “ Grigori ” と呼んでいる。

今度生まれ変わる時には、別んとこ光らせて貰えよ。

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