五十一話 陳君と外国語

店の近くにあるコンビニエンス・ストアーに行った。
あれぇ~、陳君じゃないの。
近頃見かけなかったけど、また働きだしたんだ。
この陳君、丸々していてなかなか憎めない奴だ。
昨年の春くらいに、始めてやって来た。
⎡キャスター・マイルド二個下さい。⎦
⎡何番か?⎦
このストアーは、中国人の店員が多いので、煙草の銘柄ごとに番号が付けられている。
⎡四十番を二個ね。それと、か? じゃなくて、ですか? だろ。⎦
⎡四百十円を二つで、ハッパクニジュウ円だけど?⎦
そこを、聞き返すな。
その後に、陳君は、ついに言ってはならない事を言ってしまった。
⎡温めますかぁ?⎦
⎡はぁ? キャスター・マイルドを温めるだとぉ? やれるもんなら、やってみろ。⎦
その時、隣のレジにいた中国人の女性店員が、他のお客さんに向かって言った。
⎡弁当、温めますかぁ?⎦
なるほど、これを尋ねるように、店側から教えられているんだ。
憮然としていると、ニッコリ笑って陳君が何か囁いた。
⎡えっ、何?⎦
今度は、ゆっくり小さな声で。
⎡ちっちゃく温めますかぁ?⎦
不思議なもので、ここまで言われると、温めてみたい気もしたのだが。
⎡いや、いいよ。ありがとね。⎦
これが、陳君との出合いだ。
しかし、僕は、陳君の事を嗤う気にはなれない。
これまで、北半球の色んな国の色んな街に出向いた。
そして、同じような間違いを繰り返してきたからである。
二十代の頃、Manhattan の Park Avenue と 52nd Street との角にカフェがあった。
或る日、支社に出勤する前に朝飯を喰いに寄った。
⎡One fried egg, bread, and coffee Please.⎦
すると、眠そうな目をした黒人のウエイトレスに尋ねられた。
⎡Sunny-side up or down?⎦
太陽の側が表か裏か? 何で天気の話なんかと思いながら答える。
⎡It’s cloudy today.⎦
ウエイトレスが、その場にしゃがみこんで嗤いだした。
⎡Awake by your joke.⎦
支社でも皆に馬鹿にされた。
⎡目玉焼きの両面焼きか片面焼きかを訊かれて、今日は曇りですって、お前。⎦
⎡よくそれで、出張って来たなぁ。大丈夫なのかぁ?⎦
⎡習ったろう? お前大学何処だっけ?⎦
そこまで言うかぁ?
第一、目玉焼きの焼き方なんて英語で習ってねえよ。
という具合だったから、外国語には何かとコンプレックスがある。

陳君なんか良くやってる方で、大したもんだと思う。

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