九十二話 役に立たない巴里散歩案内 其の参 − 薔薇色の人生 −

三話続けての役に立たない巴里散歩案内、もう少しですからご辛抱下さい。
Oberkampf 通りを西に、Méreilmontant 駅辺りで Belleville 通りと交わる。
この界隈は、葡萄の枝みたいに細く曲がりくねった小径が坂にへばりついている。
明治の文豪、永井荷風は著書⎡ 荷風巴里地図 ⎦でこの小径を熱く案内している。
Rue de l’Ermitage 隠者の住む通りとか、Passage du Retrait 隅っこ小径とか。
ここ Méreilmontant は悪所だった。
そういや荷風先生、場末の花街をこよなく愛されたと聴く。
正金銀行のエリートとして渡仏されたんだけど、この癖は死ぬまで治りませんでしたねぇ。
交差を左に折れて、couronnes 通りを右に行くとベルヴィルの丘に出る。
Belleville とは仏語で 美しい街を意味する。
街の名は、ひとりの偉大な歌手を思い出させる。
[ Édith Piaf エディット・ピアフ ]
一九一五年、仏で最も愛されている歌手は、この貧者が暮らす街に産まれた。
一説には路上だったともいうが、それほどの貧しさだったんだろう。
巴里人は、身丈一四二センチの天才歌手を⎡ Le Môme Piaf 小さな雀 ⎦の愛称で呼ぶ。
一九四六年独占領下の巴里に一曲の歌が流れた。
⎡薔薇色の人生 La vie en rose ⎦
彼女は独軍将校の前で謳う見返りに、仏人捕虜と写真を撮る許可を願いでる。
その写真の多くは、二つに割かれ証明写真として脱走に役立てられた。
声が枯れるまで謳い続けたという。
一九六三年十月十一日天に召された日、巴里大司教はミサの執行を拒否した。
破天荒な人生の遍歴が理由だったらしい。
貧困の街に生まれ、娼館で育ち、数々の男性遍歴、殺人疑惑、薬物中毒など。
たしかに彼女の人生は闇と謎に包まれている。
しかし、巴里人の答えは権威者のそれとは違った。
葬儀当日、巴里中の商店は喪に服し休業となる。
葬儀の場所だけでも四万人の人で埋め尽くされる。
その多くは、労働者、移民など貧しい下町の庶民だった。
まるで、Paris Commune を彷彿とさせる光景だったという。
巴里が絶望の縁にあった時も、人生は薔薇色だと言い切った歌手。
恋人の死を知らされた直後のステージでも、薔薇色の人生だと謳った歌手。
Édith は独軍に処刑された看護婦 Edith Cavell から名付けられた。
偉大な Partisan でもあった天才歌手も、この東の丘からかつての巴里を想った。

しなやかに自由で、したたかに強い、Édith Piaf は巴里そのもの。

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