百八十五話 十八番

長く同じ稼業に就いていると “ 十八番 ” と呼ばれる芸のひとつやふたつを宿すようになる。
五代目柳家小さん師匠の蕎麦をすする芸のような。
演目がなんであれ、小さんの贔屓筋はこの芸を一目見ようと寄席に足を向ける。
もちろん蕎麦をすすらない演目もあるのだが、やはり当代随一と謳われた名人芸は外したくはない。
小さんの演目でなにが好きだったか?
と尋ねられれば ” 時そば ” を挙げるファンが圧倒的なんだろうと思う。
小さん師匠自身とすれば、どう受止めておられたんだろうか?
⎡俺は蕎麦をすするだけの噺家じゃねえんだぁ!⎦と思われていたのかもしれない。
実際、蕎麦をすすろうが、すするまいが、どの演目でも人間国宝の名に恥じない高座を務められた。
服飾のデザイナーに於いても同じような出来事がある。
“ kiminori morishita ” 時代のデザイナー 森下公則氏。
パリ・コレクションのランウェーでも話題になったアーミー・パンツがあった。
圧倒的な仕様の複雑さと加工で、ブランドのアイコン的存在として認知される。
Musée du Dragon でも、シーズンが始まる前からよく顧客様から訊かれた。
⎡来期の kiminori morishita の軍パンってどんな感じですか?⎦
シーズンを重ねる度に御客様の期待は高まり、それに応えるように仕様はより複雑になっていく。
デザイナー的には、身につけた数あるテクニックのひとつにしか過ぎなかったのかもしれない。
しかし、購入する側にとっては違う。
御家芸みたいな、十八番みたいな、ここでしかない的な特別の想いを抱いていたように思う。
その後、森下氏は、“ kiminori morishita ” 終了と同時に独立し “ 08 sircus ” を始動させることになる。
新生 “ 08 sircus ” では、この十八番ともいえるテクニックを封印した。
封印といえば大袈裟だけど、印象を刷新したいという気持ちもあってのことだろう。
だからと言って、期待外れになった訳ではないが、
やはり、どこかにもう一度あのアイテムを見たいという気持ちが店屋にも御客様にもあった。
⎡べつに “ 08 sircus ” 的な複雑仕様の軍パンがあってもいいんじゃないの?⎦
という願いは、僕自身今までにも再三伝えてきたつもりである。
そして、二〇一三年にようやく登場したのがこの Three-Quarter Army Pants 。
ちょっとあっさり目だが、これこそが森下公則の真骨頂ともいえる逸品ですよ。
これから先も、毎シーズンお願いしますよ。
高くたって、なんだって、不肖 Musée du Dragon が御引き受けしますから。
話を落語界に戻すと、十八番とは当人にとっては厄介なものらしい。
頼り過ぎるとそれだけの噺家と言われるし、披露しなければ期待に応えないと言われる。
それでも、十八番は大切なものなんだろう。
稀代の噺家、五代目柳家小さん師匠。
高座ではなく、日常において蕎麦を食する際の話である。
まわりの目を気にして、落語の登場人物さながらの所作で粋に蕎麦をすすったという。
その姿は、汁を蕎麦の先にほんの僅かに付けて一気にすするというあの名人芸そのものだった。
晩年、ご家族や弟子にこう言われていたらしい。
⎡一度くれぇ、汁を最後まで付けて喰ってみたかったなぁ⎦

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