二百二話 女王陛下と謎の石庭

空梅雨の京都。
いやぁ〜、折角行くなら寺社仏閣もブランド処に限るよなぁ。
ということで、誰もが知ってる龍安寺です。
寺には、⎡龍安寺の石庭⎦として名高い枯山水の方丈石庭がある。
この庭には、多くの研究者を悩ます謎が秘められているという。
悩んだところで、永遠に解明かされることはないと思うが。
謎は四つある。
ひとつめは、⎡刻印の謎⎦
室町時代、相阿弥の手によって作庭されたと伝えられてきた。
しかし、庭石の裏に刻まれた⎡小太郎・口二郎⎦の刻印が見つかり定説が揺らぐ。
詰まるところ何処の誰が創ったのかさっぱり知れない。
ふたつめは、⎡作庭の謎⎦
狭い空間に大小一五個の石を配した庭。
この抽象化を極めた作庭に、何を託そうとしたのか。
未完?風景?宇宙?説諭? そして、禅の世界観が込められているとも言われる。
だが、作庭者の表現意図は今だに不明のまま。
みっつめは、⎡遠近の謎⎦
この石庭は、全てに於いて水平に創られている、いやそう見える。
だから、僅か七十五坪の空間が圧倒的な広がりをもって眼前に迫るんだろう。
しかし、実際には白砂面や土塀には微妙な高低差が工夫されており、鑑賞者の錯覚を誘う。
極めて高度な遠近法が駆使されているのだ。
室町期に、これほどの水準で遠近法の概念が日本にあったというのも不思議であろう。
よっつめは、⎡土塀の謎⎦
この庭を傑作と言わしめる構成要素のひとつが、百八十センチと低く構えられた土塀である。
龍安寺自身も、まるで名画の額装と称しているがそのとおりである。
油土塀という工法で、土に菜種油を錬り合わせ塗仕上げていく。
白砂 から反射を柔らげ、風雪に耐える堅牢さを備えるという見事な左官技術が生かされている。
また、土塀を境に地面は内外で八〇センチほどの高低差があり、外より内が高い。
詳しくは知らないが、この高低差は石庭の耐久度にかなり寄与しているのだと聞いた。
もし、同じ高さに設定されておれば、庭は今の世に現存していなかっただろうと唱える識者もいる。
偶然か?必然か?
偶然であればこれはもう奇跡であり、
必然であれば 名の知れぬ作庭者の職能は計り知れないというこになる。
ざっと四つの謎はこんなところではあるが、僕にはもっと不思議なことがある。
そもそも、これほどの世界的遺産について、な〜にも解らないというのはどういうことなのか?
近世では、龍安寺の見所は池泉回遊式庭園とされ、石庭はほとんど注目されていなかった。
さらに明治期には、廃仏毀釈によって寺は困窮し、狩野派の襖絵もぜ〜んぶ売払うまで追込まれた。
貧困とは悲しいもので、石庭を誰がどうしたかなんて話まで思い至らなかったんじゃないかな。
一九七五年、そんなジリ貧の龍安寺に女神が舞降りる。
Queen Elizabeth Alexandra Mary 英国女王だった。
公式訪問の際、石庭を訪れたいと自ら希望され、絶賛された。
欧米のメディアは、こぞってこの事を報道し、龍安寺石庭は世界的な称賛を浴びる。
今では、ZEN MOVEMENT の象徴的な存在として広く知られ、外人観光客が後を絶たない。
女王陛下のおかげで、龍安寺は、年中ウッハウッハ状態にある。
この日も、隣に若い白人女性が腰掛けていた。
微妙に間違っているが、いちおう座禅の姿勢を整えている。
顔を覗き込むと。
あぁ、やっぱりねぇ〜、目いっちゃてますから。
外人にありがちなんだよなぁ、こういう人。

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