二百六十五話 漁場の春

これ、何を捕っているのかというと。
イカナゴです。
海辺の家から目と鼻の先が漁場で、解禁日になると港町は、この漁で活気づく。
商店という商店の店先には、イカナゴと書かれたのぼり旗が、一斉に掲げられる。
魚屋、総菜屋、佃煮屋、飯屋は、もちろん。
和菓子屋や喫茶店やパン屋だというのに、“イカナゴあります” と貼紙している店屋さえある。
この季節、他府県からこの味を求めて訪れる人も多いらしい。
挙句、商店街を歩くと、誰が作詞作曲したか知らないイカナゴの唄まで聴こえてくる。
ちいさな港町の、ちょっとした風物詩なのである。
三〜七センチ程度のこの小魚を、なんの子か判らないことからイカナゴと呼ぶ。
カマスに似た型をした新子みたいなのと言った方が良いかもしれない。
地元では、醤油、砂糖、生姜で煮詰めて食する。
いわゆる “ くぎ煮 ” で、簡素な食いものだが、その家その家によって 違った味になるのだという。
我家にも家伝の味というものがあって、母から娘へと継がれている。
のはずだったのだが。
⎡あ〜ぁ、こんなことなら訊いとくんだったなぁ〜⎦
⎡えっ?訊いてなかったの?⎦
⎡うん、まぁ、あんまり、ちゃんとは ………………。⎦
⎡マジですかぁ?じゃぁ、出来ないのぉ? どぉすんだよ?⎦
⎡ワァ〜ワァ〜騒がないでよ!イカナゴくらいでぇ!ほんと人間がちっちゃいんだから!⎦
⎡なに言ってんだよ!ちっちゃいのはイカナゴで、俺じゃねぇから!⎦
⎡うるさいよ!見よう見真似で、なんとかなるんだから!母と娘なんてそんなもんよ!⎦
いまいち、説得力に欠ける理屈だが、本人がそうだと言うんだから、そうなんだろう。
しかし、判らないから、出来合いのイカナゴ煮を、店屋で買って済まそうとしないところは偉い。
訊くと、店屋で売られているイカナゴ煮は、大抵水飴で増量されているらしい。
嫁は、この地で産まれて育った。
だから、そういった大人の裏事情に通じていて、そこは譲れないのだという。
⎡さぁ、とにかく、どっかに仕舞ってあるはずの道具を探さないと⎦
⎡ 道具って?⎦
イカナゴ煮専用の大鍋やら、保存用の容器やら、いろいろとそれ用の道具があるのだそうである。
そう言えば、季節になると、この辺りのどの金物店でも、道具一式が揃えて売られている。
⎡よぉ〜し、遂にわたしにも、イカナゴと向合う番が巡ってきたのかぁ〜⎦
なんかこう海辺の家が、妙な高揚感に満ちてきて、盛上がってきたのはいいけれど。
肝心の漁がいつ解禁されるのかは、まだ決まっていない。
二月二十日の試験操業で決められるらしいから、間近だろうと思う。

さて、二〇一四年の当家謹製 “ イカナゴのくぎ煮 ” は如何に?

カテゴリー:   パーマリンク