二百五十八話 至福の港街食堂 後編

前編からの続きで、明石の飯屋での話です。
神戸を西に行くと、駅毎に港がある。
此処明石も、この辺りでは比較的大きい港として知られている。
漁港はもちろん、フェリーの船着き場など、ちょっとした港湾設備が整った良港である。
“魚の棚” の名称で親しまれている商店街があって、ご覧のような海の幸が並ぶ。
この辺りで暮らすと、大阪なんぞの百貨店やスーパーで魚を買うのが馬鹿馬鹿しくなる。
鮮度、価格、種類でも雲泥の格差を実感してしまうから。
魚貝だけではない、牛肉なんかもそうだ。
丹波、三田、淡路などの銘柄牛も、そこらの普通の肉屋で、普通の値段で売っている。
いちいち、なんとか牛とか言わないし、訊いても、⎡神戸牛や!⎦ で終わり。
この食材に恵まれた環境を求めて、腕の立つ若い料理人がやって来て、飯屋を開く。
伊料理屋 “ CHIRO ” も、そんな一軒である。
前回お話した面倒な注文の内容を、ちょっと披露させて戴こうと思う。
まずは、前菜。
殻付きの牡蠣は、“ CHIRO ” 自慢のピザ釜とオーブンで軽く火を通す。
明石港の名産である穴子は、蒸した後にマリネに。
マリネには、同じく名産の蛸や烏賊に加えて、パプリカを添えて貰う。
少し肉気も欲しいので、牛腎臓パテを盛ったブルスケッタ。
Bruschetta は、軽く焼いたパンに大蒜を擦りつけ具を載せた伊中部のおつまみである。
そして、“ CHIRO ” の名が、知られるようになったピザ。
半分を、マルゲリータに生ハム。
もう半分は、モッツァレラとリコッタ二種類のチーズをラグー・ソースで。
絶品だが、驚いたのは、次に出されたパスタ。
これだけは、注文時に味がどんなものなのか描けなかった。
蜜柑、檸檬、柚で、風味付けした太刀魚のペペロンチーノ。
なんじゃこれ〜。
柑橘系の風味なんて生優しいものではない強烈な香りが口一杯に広がる。
癖の無い太刀魚を、ここまで明快に、大胆に仕立てるとは。
ほんとに見事な一皿でした。
主菜は、港街らしく舌平目をアクアパッツァに。
これらの料理を全て、食材を目の前に置いて、料理人と客が相談の上定めていく。
〆は、レーズンとナッツを仕込んだ林檎タルト。
仕上に、飲物の種類を訊くと、エスプレッソの冷たいのがあると言う。
いくらなんでも、まさかなぁと思いながら注文した。
給仕人が、カウンターの陰で、おもむろにシェイカーを振りだす。
⎡嘘ォ〜、Espresso Shakerato をやるの?⎦
伊では、冷珈琲は一般的ではない、どうしてもと言うとこうなる。
抽出したエスプレッソを、シェイカーを用いて冷却する。
なので、氷は無い。
しかし、面倒この上ないし、だいたい食堂にシェイカーなんて置くかぁ?
徹底した信条へのこだわり、客にそれを押しつけない気配り。
食材、調理、給仕、景色、規模、料金すべてに於いて、僕にとっての至福の食堂である。

ただ一点だけ、“ CHIRO ” には “ 難 ” がある。
帰りがけ、世話をやいてくれた若い女性給仕人に、その “ 難 ” を告げた。
⎡此処、予約なんとかなんないの?⎦
⎡五回挑んで一回じゃ、どうにもなんないじゃん⎦
⎡そこは、めげずに頑張ってくださいね、じゃ、また、お気をつけて⎦
訳すと。
こっちもやることやってんだから、テメェも手間惜しむんじゃねぇよ!
じゃぁな!オッサン!
可愛い顔して、 なかなか言うよねぇ。
ほんと、胸張って仕事していて、立派だわ。

さて、腹も満たされたことだし、子守唄代わりに和尚の念仏でも聞きにいくか。

 

カテゴリー:   パーマリンク