二百五十七話 至福の港町食堂 前編

世間では、松の内も終り、正月飾りを外す頃、ようやく忌明けとなる。
満中陰の法要を終えて、ご住職に。
⎡色々とお世話になりました、じゃぁ、俺帰るわ、仕事もあるし⎦
⎡さよか、まぁ、頑張り、ほな、来週火曜日に寺で待っとうさかいなぁ⎦
⎡えっ、来週?寺に?まだ、なんかやんの?⎦
⎡こらぁ!おやっさんの祥月命日やないかぁ!どういうつもりなんやぁ!⎦
⎡ Oh~ My God ! Jesus Christ ! ⎦
母の事ばっかり気にしてたら、相方の方を忘れてた。
⎡なにブツブツ言うとんのや!忘れたら承知せんぞぉ!⎦
⎡OK〜、酒買って昼過ぎにくるから⎦
⎡おぅ、そうしたり、後で頂戴するから、儂が、日本酒党やて知っとってやなぁ⎦
ここ最近、誰の顔より、この老導師の顔を見てる時間が一番長いかもしれない。
こうなったら、どっかで旨いもんでもたらふく喰ってから参ってやることにしよう。
海辺の家から菩提寺のある明石までは、車で一〇分程度。
関東にまで名を轟かす伊料理の名店 “ CHIRO ” は、その明石に在る。
港に面して建つ古いビルの二階にある小さな食堂である。
天候、曜日、時間に関係なく、予約は、超絶取りにくい。
此処での昼定食は、予め定まった料理から選ぶのではない。
その日の食材を提示してもらい、客と店で調理法を相談しながら料理を決めていく。
前菜も、主菜も、パスタだろうが、ピザだろうが、全てをそうしてくれる。
ピザの、半分を肉に、半分を魚貝にというのもアリなのだ。
この日も、港で上がった魚を、まるごと大皿に盛ってやってきた。
鱸、太刀魚、カレイ、黒鯛、舌平目、チヌ、ロブスター等が、ど〜んと目の前に置かれる。
これが、今日の食材で、どれを選び、どんな料理にするのかは、これからである。
⎡さぁ、今日はどうしましょうか?⎦
僕は、なんとなく頭に、落語の “ 三題噺 ” が浮かんだ。
寄席で客から三つのお題を貰い、それらを絡めて、高座で噺を創る即興落語である。
噺なのだから、まくら・本題・落ちときちんと仕立なければ、しくじったことになる。
また、その日の客筋を読んで、うけの良い噺を演じなければ、木戸銭泥棒と言われる。
名人、真打ちともなれば、客の期待も大きい。
よほど腕に覚えがなければ、 “ 三題噺 ” を高座にかける訳にはいかない。
“ CHIRO ” の定食は、この  “ 三題噺 ” に似ている。
料理人としての腕はもちろんだが。
客との話合いで料理を決めるとなると、客の裁量もある程度は影響する。
なんにも解りませんでは、やりようがない。
店の客筋を信じなければ、端から成り立たない話だろう。
まくらは Antipasto、本題は Primo Piatto、落ちは Secondo Piatto。
お題は、食材で、これは客が選ぶ。
料理人と客が、食の流れを創っていく。
料理人も真剣だが、遠くまで足を運んで銭を払う客も真剣だろう。
そんなやりとりが、港街にある小さな食堂で日々繰返されている。
これを、面倒だとされる方も多いと思う。
そんな方には、“ CHIRO ” は向かない。
だけど、古典落語屈指の人情噺 “ 芝濱 ” は、三遊亭圓朝が演じた三題噺から産まれたという。
大袈裟な言草だが。
この “ CHIRO ” から、伊料理史に残る一皿が創作されるかも。
そう思わせるくらいに、この食堂は凄い。
そして、Associazione Verace Pizza Napoletana という組織が、伊に在る。
“ 真のナポリピッツア協会 ”
店主であり料理長の小谷夫妻。
奥様は、PIZZAIORA の称号を協会から授与された最初の日本人ピザ職人である。
当時、伊国外で、認定された職人が働く料理屋は、New York と二店舗だけだった。
伊料理界で、御夫妻と “ CHIRO ” の存在を知らぬ者はいない。

で、この日、何を喰ったかは、後編でお話いたします。

 

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