六百八話 神戸徘徊日和

二〇二二年九月一〇日、今年はこの日が一五夜となる。
海辺の家で、観月の宴会でもと思い声をかけたのだが、集まりが悪く中止。
仕方ないので、夫婦と友人ひとりを伴って街中をうろつくことにする。
旧神戸 UNION 教会堂を改築した “ Cafe FREUNDLIEB ” へ。
昼飯を sandwich で済ませ、北野町界隈の異人街に向かって歩く。
大学時代、嫁は市役所に雇われて観光客に異人館を案内するバイトをしていた。
その縁で、此処が遊び場となっていた時期がある。
震災後、雰囲気は随分と変わってしまったが、食と飲みでのこの街独特の流儀は消えてはいない。
幼馴染、先輩後輩、隣人とのローカルな関わりを立場、年齢、人種を超えて何より重んじる。
極めて排他的ではあるものの、住人にとってはそれが心地良いのだろう。
なので、どんな洒落た造りの店屋であっても、家にいるのとたいして変わらない格好で客は集う。
気取らず普段着で近場の店屋にやって来て。
居合せた顔見知りと毒にも薬にもならない話題で盛り上がって、たらふく食って飲んで帰って寝る。
まぁ、これが神戸人の目指す理想の暮らしぶりで、この実践に向けて日夜励んでいる。
「俺、産まれてこのかた頑張ったことないから」
ほんとは四苦八苦していても、この台詞だけは取り敢えず言っとかねば明日は来ない。
あれほどがめつい中国人でも印度人でも、二代三代とこの街に暮らし続ければただの腑抜けだ。
緩くて、阿呆で、したたかな港街。
Cafe FREUNDLIEB を後にして、途中、The Bake Boozys で翌昼飯用ミートパイを嫁が買うと言う。

ミートパイにとどまらずあれもこれもを鞄に詰めて歩くことに。
神戸ハリストス正教会脇の路地坂を登って、 神戸 Muslim Mosque までやってきた。
この日本最古のモスク周辺には、ハラル料理屋や食材店が並ぶ。
最近、そのモスク前でトルコ人がトルコ料理屋を始めたらしい。
“ KOBE SHAWARMA ” というテイクアウト中心の店屋だ。
日本語はほぼ通じない、英語で訊いてもかなりでたらめな説明が返ってくる。
面白いので、伝統菓子 “ バクラヴァ” を三個試しに買ってみた。
実は、帰って食ってみるとこれがかなり旨いのに驚く。
あちこち店屋を冷やかしながら時間を潰して、晩飯の時刻に。
今宵の晩飯は、“ 牛舌 ” 。
ICHIRO 選手も通う名店 “ 牛や たん平 ” で牛舌を堪能しようという趣向だ。

石焼、タンシチュウ、タン飯など、どうやっても旨いものは旨い!
潔く牛舌のみを一点狙いで味わうという暴挙は最高ですわぁ。
人気店故に次々に予約客が入ってくるので、長居せず店を出る。
どこかの BAR で一杯飲んで帰るか。
そういや、飯屋に向かう途中で、滅茶苦茶洒落た店屋を通りがかった。

看板も無い、何屋かも分からない、鉄の扉、青銅像の首には鎖が。
昼間より闇に浮かんだ今の方が、より怪しくて素晴らしい。
鉄扉を揺すってみるが、閉まっている。
すると、店前にいたバイクに跨ったお兄ちゃんが。
「そこ、八時からですよ」
「で、此処って、何屋? BARなん?」
「SM倶楽部ですけど」
「えっ? SM? マジでそうなの?」
「はい、マジです」
「 いやぁ〜、お兄さん助かったぁ、夫婦でSM倶楽部行くとこだったわ、ありがとね」
それにしても、その筋のひとのセンスってやっぱり凄いと感心した。
行かないけど。
おとなしく、時々行く “ BAR DYLAN ” で二杯ほど飲んで本日の散歩は終了。
時代が移り街場の景色は変われど、観光客には決して見せない顔が異人街には今も残っている。
こうして無事徘徊を終えて海辺の家に戻ってきた。

そして、夜中に見上げる一五夜の名月を撮ってみた。

 

 

 

 

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