五百八十四話 粥

横濱の山下町、倫敦の “ SOHO ”、巴里の “ Ménilmontant ” など。
華人街の風情は、おおよそその造りに於いて似たようなものだ。
通りに面した店屋では、余所者相手に表の顔を装い、裏通りの路地には、裏の顔がある。
どちらが、彼らのほんとうの顔か?は、当の本人だって解りはしない。
まぁ、その時々の都合で表だったり裏だったりするんだろう。
異国で暮らし、代を継ぎ、根を張るためには、相応の知恵と工夫を伴わずにはやってはいけない。
その一筋縄ではいかない曖昧さが、異人街の魅力でもあると思っている。
神戸。
山と海を結ぶトア・ロードの西側通り沿いに、親子三代に渡って継がれた一軒の上海料理屋が在る。
初代創業時は、港街に漂い着いた船員相手の大衆食堂だったらしい。
二代、三代と店屋は次第に繁盛し、今では、老舗高級中華料理店として知られている。
“ 新愛園 ”
よく通ったのは、学生時代。
今ほど高級ではなかったが、それでも学生の身分で気軽にというわけにもいかない。
開店前に訪れ、ちょっと店を手伝って、まかない飯をご馳走になったこともあった。
女将の徐さんが、どういう経緯で何を気に入ってくれたのかは知らない。
それでも華人でもない僕に良くしてくれた。
そんな “ 新愛園 ” が、近くの路地裏でもう一軒の店屋を営んでいる。
あまりにも趣を違えたその店屋が、高級中華料理店 “ 新愛園 ” の系列と知る者は地元でも少ない。
ビルの室外機が左右に迫る華人街の路地奥に構えられた飯屋は、“ 圓記 ” という。
アルミサッシの引戸に、パイプ椅子と安物の卓が並んだだけでなんの装飾もない店内。
数年前、初めて嫁と晩遅くに、あまりの妖しさに惹かれて訪れた。
剥き出しの調理場にも客席にも広東語が飛び交い、日本人は我々夫婦だけ。
品書を手にやって来た女性を見て驚く。
「随分昔に、おねえさんとそっくりなひとがこの近くで飯屋をやってたんだけど」
「あぁ、“ 新愛園 ” やろ」
「そうそう、じゃぁ、おばちゃんの娘さん?」
「わたし、姪やねん、よう似てるって言われるんよ」
「おばちゃんは?元気にしてはる?」
「それが、二年前に亡くなったんよ」
四〇年も時が経つと仕方がないけれど、あまりにも似ていて時が戻ったような気分にさせられた。
もうひとつ驚いたのは、“ 圓記 ” の味だ。
僕の中では、今、神戸でも一番二番を競える味じゃないかと思っている。
先日、大阪宅から海辺の家へ移動の途中。
中途半端に減った腹を満たそうと思いついたのが、中華粥。
そういや “ 圓記 ” の看板に赤字で “ 粥 ” って書いてあったと思い出す。
人気のない路地を通って “ 圓記 ” へ。
華人は、朝・昼・晩と時間を問わずちょっと小腹が空くと粥を喰うと聞いたことがある。
“ 圓記 ” の粥は、香港式の鶏殻スープで炊かれる。

あっさりとコクのある粥に、刻んだピータンが混ぜられ、揚げたワンタン皮の食感が良い。
手間のかかった飽きない味に仕立てられている。
粥なら “ 圓記 ” へとの噂は、ほんとうだ。
食べ終えて、屋台に毛の生えたような飯屋だが、華人街の宝だと染み染みそう想う。
“ 新愛園 ” が表の顔だとしたら、“ 圓記 ” は、華人による華人のための裏の顔。
路地裏に隠された飯屋で、蛙や鶏足をしゃぶりながら絶品の老酒を煽り、〆に謎の善哉を啜る。
華人街の奥には、余所者が覗いて知れるほど浅くはないそうした景色があるものだ。

それにしても、徐おばちゃん、表でも裏でも立派に良い店屋を遺したよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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