五百八十三話 仮想から理想へ、そして、想像から創造へ。

“ TSUBURAYA EXHIBITION 2021 ”
コロナ禍だろうとなんだろうと、詣でないという選択肢はない!
問題はいつお参りするかだが、終盤の昨日にした。
兵庫県立美術館へ。
館地下の駐車場は満杯。
会場受付には夏休み中の子供、その息子以上に興奮している父親、開催期間中無限に通うオタク。
そして、無理矢理連れ出されて不機嫌な母親や嫁達で溢れている。
コロナ禍の開催終盤にして、この人気とはなぁ。
昭和という時代。
映像・音楽業界の天才達が、寝食を厭わず取り組んだ傑作中の傑作 “ ウルトラ・シリーズ  ”
一九六六年一月二日、その初号となる “ ウルトラQ ” が TV放映される。
全編映画用三五ミリ・フィルムでの撮影という常識外れの制作体制で臨んだ作品だった。
僕は、当時、後数日で六歳になるという頃。
一族郎党の皆が映画人という奇妙な家に産まれ、“ TV は敵だ!” という空気を吸って育った。
“ 活動屋の息子が、TV なんか観るな!” という斜陽側の屁理屈を押付られる。
正月の二日は、映画人にとっての掻き入れ刻、子供達は劇場にほったらかしにされる。
おとなの目を盗んで、裏手の事務所でひとつ歳上の従兄弟と禁断のテレビにかじりついて観た。
古代怪獣ゴメスが目に飛び込んでくる。
もう鼻血が吹き出すほどの興奮で、原始怪鳥リトラが登場する頃には気絶しそうだった。
そして、同じ年の七月、巨大変身ヒーロー 「 ウルトラマン 」がテレビに現れる。
“ ウルトラQ ” に続き、円谷英二監督が撮られた。
世界中の映画人が崇めた “ 特撮の神様 ” である。
科学に基づく発想、芸術的な作画、最新の技術を纏った撮影、妥協のない舞台美術設定など。
どれもが、神様の域にあった。
円谷英二監督は、私財はもとよりその人生を一欠片も残さず特撮に捧げられた。
「ウルトラマン」放映から数日後、父親から普段滅多にしない仕事の話を聞かされた。
「今度怪獣映画を撮ることになって、ウルトラマンの円谷特技プロダクションに頼むことになった」
「来年春頃の封切りになるけど、学校で言うなよ」
「わかってる」
息子への自慢から口にしたのだろうけれど、興奮した子供の口ほど軽いものはない。
教室に着くなり口が乾くほど喋りまくってやった。
実際には、盟友であり片腕の “ ゴジラ ” 特技監督 渡辺明さんがメガホンをとられたんだけど。
そして、円谷英二監督が亡くなられた後も、その遺伝子は渡辺明監督達に引き継がれていく。
特撮の系譜は、未だ途絶えてはいない。
その証ともいえる作品が、近日劇場公開される。
「シン・ウルトラマン」
監督は、“ シン・ゴジラ ” の樋口 真嗣。
企画は、“ シン・ゴジラ ” や “ 新世紀エヴァンゲリオン ” の庵野義明。
音楽は、“ 新世紀エヴァンゲリオン ” の鷺巣 詩郎。
樋口 真嗣・庵野義明 は、円谷英二監督や渡辺明監督を。
鷺巣 詩郎は、“ ゴジラ ” の映画音楽を担った昭和の大作曲家 伊福部 昭先生を。
それぞれに継いで、今、日本特撮映画の系譜に新たな一頁を加えようとしている。
そもそも庵野義明の大阪芸大卒業制作は、「ウルトラマン」だったような気がする。
今回 “ TSUBURAYA EXHIBITION 2021 ” に、「シン・ウルトラマン」のモデルが出品されていた。
おそらくだが、庵野義明によるものに違いない。
おぉ、いいねぇ、いいですよ、さすがに同い歳、よくわかってらっしゃる。
これこそが、僕らのウルトラマンだよね。

って、おい!カラー・タイマーが、ねぇじゃん!まさか、ピコンピコンさせないつもりかぁ?
 

 

 

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