四百六十五話 贅沢な菓子

叔母が、菓子を手土産に海辺の家にやって来た。
この季節しか手に入らない菓子らしい。
Makronen Mandelkuchen 
独語では、アーモンドを Mandel 菓子を Kuchen と呼ぶのだという。
そして、Makronen とはマジパンのことみたいで。
だから、この菓子はアーモンドの焼菓子ということになる。
アーモンドは、梅や杏と同じ薔薇科で花姿もよく似ている。
ただ果肉となるとそこは違っていて、アーモンドの果肉は薄く食されることはあまりない。
仁とも呼ばれる種の部分を食べる。
噛むとわずかな苦味と杏仁に似た香りが口に広がる。
そのアーモンド独特の風味が、存分に味わえるのがこの Makronen Mandelkuchen なる独逸菓子だ。
それも、そこらのバーで酒のつまみに盛られる安物のアーモンドではない。
伊シシリー産最高峰のアーモンドをさらに厳選して使っている。
アーモンド・バターをたっぷりと含んだスポンジ生地。
菓子上部には、これまたアーモンドが豊かに香る自家製マジパンが格子状に絞られ。
ところどころに、フランボワーズとアプリコットのジャムが格子の溝にあしらわれてある。
これは、衝撃的に旨い。
Mandelkuchen は独逸語なので独逸菓子だと思ったが、正確にはスイスの伝統菓子のようで。
スイスで製菓技術を学んだ職人が、その味をどうしても忘れられずこの菓子を創ったのだと聞く。
以後、毎年この季節になると常連相手に案内するのだそうだ。
素人の推量に過ぎないが。
多分この菓子を幾らで売ったところでいくらも儲けはないんじゃないかと思う。
最高の製菓食材を使い、ジャムからマジパンまでのすべてを工房で仕上げる。
途方もない手間と原価を要してでも、顧客に届けたいという一念がなければ到底出来ない。
そして菓子職人としてのその矜持が、八〇歳の中を過ぎて足元も覚束ない叔母を店へと向かわせる。
モノと銭金のやりとりだけが商いではない。
正念を入れて創って売るひとがいて、それに応えて買うひとがいる。
なんの皮算用も介さない単純な構図だが、これほど難しいことはない。
だけど、ほんとうの贅沢といったものはそんな構図からしか産まれないのではないかと想う。
贅沢このうえない Makronen Mandelkuchen を創られたのは津曲孝さん。
この方は、商うということの本質を身を以てよく承知されておられる方なんじゃないかなぁ?

さすがに黄綬褒章を授与された菓子職人が供する本気の味は凄い!

カテゴリー:   パーマリンク