四百五十四話 老铺子

神戸という港町には、代々の華人が腰を据えていて。
その華人達に人気の商いのひとつが飯屋。
なので、ちっちゃな饭 店から立派な構えの餐 厅までが街中にひしめいて在る。
地元民は、都合に合わせて向かう飯屋を選ぶ。
大学時代の友人とそんな神戸で中華飯でも食うかとなった。
この友人、良家に産まれ育ち良家に嫁いで、今でも恵まれた暮らしを享受している。
商家にあって、手堅く裕福に変わらず過ごしていくのは口で言うほどに簡単ではない。
少しはそういうことも承知しているだけに、この友人も実は賢く有能なのだと思う。
相手によって、飯屋を選ぶのも一興で面白い。
普段上等なものを食っているのだろうから、やっぱりそれなりに上等な飯屋にするか?
逆に、身の毛もよだつ路地裏に潜む飯屋で、食いつけないものを食うか?
どちらもそれなりに楽しい。
だけど、身の毛がよだつ頃合は、ひとそれぞれなので其処は気をつけなければならない。
ほんとうに身の毛がよだってしまったのでは洒落にならないから。
婆ぁの親指が汁に浸かっていたり、鍋を振る亭主の汗が滴り落ちていたりでは駄目だ。
実際、この街にはその手の飯屋が少なくない。
不思議なことに、潰れずなにひとつ改善されぬままに老舗として在る。
そして、華人が云うところの「老铺子」に数えられている。
いろいろと迷った挙句「中國酒家」に決めた。
此処も 老舗は老舗だが、ちゃんとした老铺子らしい。
高級中華食材を比較的安価で食わせるという飯屋で、フカヒレが旨いとの評判をよく耳にする。
無難な飯屋に落着く。
薄味に仕立られてあるが、味が深くさすがに旨い。
評判のフカヒレも丁重に煮てあってそれなりに良いのだが、他の皿の方が気に入った。
フカヒレの煮凝りと鯛の刺身のジュレ掛け、海老のマヨネーズ和え、烏賊のXO醬炒めなどで。
特に、鯛と海老の擂り身団子スープは、擂り身にしっかりと食材の風味が閉じ込められている。
広東料理と掲げているが、潮州菜なのだろうか?
とにかくあっさりと旨い。
ただ、老舗飯屋ならではの申分のない旨さなのだけれど、どこか勢いというものに欠ける。
路地裏の飯屋には、旨い不味いでは計れない奇妙な勢いがある。
所帯が小さく家賃が安いだけに賭けにも出易いのだろう。
客にとっては当たり外れもあって、其処を嗅いで分けるのがまた面白い。
帰りがけ、近くの路地裏に在る薄っすら身の毛もよだつ中華飯屋の前を通りがかったので。
「此処も旨いよ」
「今度、ご主人か友達と食いに来たら」
「えっ?此処?旦那は無理!友達も無理!」
「あんたら夫婦して、最初どんな了見でこの店入ったん?」
「どんなって?旨そうだったから」
それでも旨いと聞いて興味が湧いたのか。
「どう考えてもひとりでは無理やから、今度連れてって」

こうして、ひとを路地裏の奥の奥に誘い込むのはほんとうに楽しい。

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