四百十七話 牡丹鍋

こやつを喰ってみた。

一二月一八日は、世話になった画家の祥月命日で。
毎年この日に、画家の生家である丹波篠山に出向いて生前の不義理を詫びる。
今年は暖冬だといわれていたが、前日からの寒波に影響されて全国的に寒い。
平野でも寒いのだから、山里ではもっと寒い。
生家では、画家の女房が出迎えてくれる。
「寒い中遠いとこまで悪いなぁ、それに忙しいんだろ?」
「遠いからとか、寒いからとか、忙しいからとか言えた義理じゃありませんから」
「まぁ、干柿でも食べな」
「干柿 って?これ御自宅で干されたんですか?」
「そうだよ」
このひとが、干柿を軒に吊るしている姿なんて昔では想像すらつかなかった。
東京時代。
画家の女房は、業界切っての洒落者で通っていて洗練された感覚には誰もが一目を置いていた。
東京と丹波、どちらが彼女のほんとうの姿なんだろうか?
まぁ、どちらも素敵だから良いのだけれど、ふとそんなことを想ったりもする。
「それにしても寒いなぁ、そうだ、ちょっと牡丹鍋でも突つきにいこうか?」
「牡丹鍋って猪肉ですか?でも、祥月命日に猪肉喰うのもどうなんですか?」
「別に良いじゃん!おまえなにを年寄りみたいなこと言ってんだよ!」
その昔は旅籠だったという料理屋に連れていかれた。
この里が並々ならない経済力を誇っていた時代を想い起こさせるような立派な普請の料理屋である。
一二月の猪猟解禁日を越すと、冷凍ものではないほんものの牡丹鍋が始まる。
その日に地元猟師から直接買い入れた猪を捌き、身を一枚一枚薄切りにしていく。
赤身と脂身が紅白にはっきりと分かれた猪肉を花びら状に飾って大皿に盛る。
その様子が、牡丹に似ることから牡丹鍋と名付けられたのだそうだ。
黒大豆味噌と白味噌を合わせた出汁で、地元丹波産の野菜や山芋とともに戴く。
濃厚なのだが、意外とさっぱりとした風味で旨い。
煮ていくと味が濃くなっていく。
そういった場合には、追い出汁で整えたり、溶き玉子に潜らせたりするのだそうだ。
好み的には、玉子ですき焼き風に仕立てるより最後まで味噌だけで味わった方が良いと思うけど。
いくら新鮮とはいえ猪は猪なんだから多少の野獣臭さは覚悟していた。
だが、拍子抜けするほどそういった臭みはない。
猪肉の鮮度や料理人の腕にもよるのだろうけれど、古来より愛された山の滋味に違いないと思う。
「いやぁ〜、これほんと旨いですよ」
「そう?ご馳走した甲斐あった?」
「はい、やっぱり食いものはその産地で食うのが一番だと改めてそう思いました」
「ご馳走になって、ありがとうございました」
ここで画家の女房が、妙なことを言い出した。
「そうそう、年末に丹波の黒豆を煮て送るから」
「えっ?誰がなにを煮るって?」
「 なんだよ!怯えたような目するんじゃないよ!わたしが豆煮たら悪いのかよ!」
「いや、東京に居られた頃には、鍋持ったり包丁握ったりなさったことなんてなかったでしょ?」
「だからなんなのよ!ここは東京じゃないし、ひとは育つんだよ!」
「育つって?今から?」
「だいたい今まで出来てたものが出来なくなるような頃合で新たにって言われても」
「うるさい!」
この山里で、このひとはひとりでこれから先どう暮らしていくのだろうか?と案じたものだったが。
無名の絵描きは、現代美術の巨匠と称されるまでの画業を成し遂げた。
その画家を戦友の如く終生支え続けた女房もまたひとかどの生き方を心得ていて。
しなやかでいて強い。

山里の年の瀬に喰う牡丹鍋は格別の味でした。
ご馳走様でした。
それでは、黒豆煮をお待ちしております。

 

 

 

 

 

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