三百八十話 画家の正体

休日の月曜日。
点検修理で一◯日間ほど阪神高速道路の一部区間が通行止めになると聞いた。
地道を通って海辺の家に行くのも面倒なので、何処か他所へ出掛けることにする。
久しぶりに画家の女房の顔でも拝みにいこうか。
吉田カツ。
今でも、大抵の日本人が一日一度はその作品を目にして暮らしている。
商業美術を離れ画家となり、東京から此処丹波篠山へと移り棲んだ。
生涯を絵描きとして過ごし、画業は最期のその時まで絶えることはなかった。
カツさんほど、絵を描くこと以外なにもしなかった人を僕は他に知らない。
微塵の妥協も許さない画業が産んだ作品群は、現代美術界に於いて陽の当たる場所を棲家とした。
没後、主要作品は四散することなく “ 何必館 ”  京都現代美術館に所蔵されている。
なんだかんだ言っても、才にも運にも恵まれた良い画家人生だったろうと思う。
業界では心底怖いひとだと評判だった。
一緒に仕事をすることになったと言ったら、皆に大丈夫か?と訊かれたくらいに。
だけどひとの相性とは異なもので、怒られても不思議と怖いと思ったことは一度としてない。
僕が企業を退職して独立する時、これを企画事務所の ID に使えと一枚の絵を渡された。
「え〜、こんなの名刺に刷ったら相手に恥ずかしくて渡せませんよ」
「なんで?」
「なんでもなにも、これってオチンチンでしょ?」
「馬鹿!こんなんで恥ずかしがってたら、この先やっていけるかぁ!いいから黙って使え!」
「いまいち説得力ないけど、カツさんがそう言うんなら、まぁ、どうもありがとうございます」
オチンチンの御利益かどうかは不明だが、この名刺を差出した最初の相手からでかい仕事が舞込む。
とにもかくにも、仕事につけ遊びにつけこの画家夫婦にはよくして貰った。
が、四年前の暮れに画家は逝ってしまう。
なので、この山里に足を向けるのは命日にあたる年の瀬で、初夏の丹波篠山は初めてである。
いつもの色に乏しい山合いの風情ではなく、一面緑の濃淡に染められた田圃をゆくことになる。
こういう土地での暮らしも悪くはない。
晩年、絵筆が持てなくなった画家は、それでも色鉛筆を握って絵と向き合う。
画家の視点は、この地の風景や産まれ育った古屋での暮らしに向けられていて。
誰に見せるための絵でもない。
自身の欲求を満たすためと、残して逝くであろう女房のためにだけ描かれた絵である。
その一連の素描は、今でも画家の女房の手に残されている。
描かれた日付毎に整理されていて、その一番新しい日付の作品には直筆の文が添えられてあった。
“もはやぼくにとって、絵は自身の性癖によるものでしかない”
ある美術誌の取材だった。
「吉田カツにとって絵画とはどういったものだとお考えですか?」
即座に返した答えは、その後物議を醸した。
「商売と性癖だ」
本心だったに違いないが、ベテラン記者はムッとした表情を浮かべたらしい。
馬鹿にされたと思ったのだろう。
“描いた絵の前を通り過ぎた人が何人振返るかで勝負は決まる、またその数で対価も決まる”
画家がよく言っていた言葉だ。
商業美術を糧としたおとこの矜持だったのだと思う。
商売とは、そういった意味だったんじゃないかなぁ。
晩年の素描からはその商売が脱け落ち、
先天的に備わった描かずにはおれないという性癖だけが見て取れる。
僕は性癖だけで描かれたこの素描こそが、吉田カツという画家の正体であり原点なのだと思う。
晩年の暗さなど爪の先ほども感じられない。
ひとを喰ったような視点と、軽妙でいて強烈な色使い、日本画の大家をも嫉妬させた画力。
陽気で、淫靡で、人懐っこい画家の正体である。
田舎の情景を描いているのだけれど。
どこまでも Modern に、Swingy に、Avant-garde に表現されている。
やっぱり、カツさんカッコ良いわぁ!

とは言っても、この素描が世に公開されることはおそらくないだろう。

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