二十九話 Pascal Peignaud

京都の商いは、良くも悪くも少し変わっている。
加茂川に沿って北に上がった下鴨の町家で、仏料理屋を営む夫婦がおられる。
看板は無い。
表札に、“ パスカル・ペニョ”と縦書きで記されているだけだ。
何屋かも知ることは出来ない。
また、この料理屋は、よく引っ越しをする。
知る限りでは、この十年の間に三度、実のところは、四度らしい。
移る度、探すのに苦労する。
屋号は、オーナー・シェフの名を掲げている。
旦那はフランス人、奥さんは日本人。
このペニョ氏、小さな料理屋の亭主と侮ってはいけない。
恐ろしい経歴と、それに見合う腕を持つ料理人である。
父親は、華やかだった頃の Maxim de Paris の総料理長。
ベルサイユ近郊の二ッ星レストラン La Belle Epoque のオーナーでもある。
彼は、十六歳の時、ベルサイユにある父親の店で、料理人としての道を歩み出す。
以後、仏料理界の帝王 Joel Robushon に師事。
Nikko de Paris, 英国のBristol Hotel, Oriental Bangkok, Keio Plaza Hotel
とキャリアを積み, Kyoto Brigthon Hotel の総料理長として京都にやって来た。
そして、この地に根を下ろし今に至る。
まぁ、経歴を喰う訳ではないのだが、ここまでとなると言いたくもなる。
奥さんの惠さんが料理を給仕してくれる。
付きだしは、エスカルゴとクレソンのアミューズ。
前菜は、ホタテ貝のムースで、アクセントにバイ貝を仕込ませている。
続いての茄子の冷製スープは、ガスパチョのような感じでスッキリと仕上げてある。
メインには、肉厚のアトランティック・サーモン・ミキュイをレモンソースで仕立てたものに、
クスクスが添えられる。
締めのデザートは、アルマニャックに漬け込んだプラムのブラマンジェ。
こう書くと何か気取った料理に思われるが、彼の作るものは素朴で簡素だ。
加えて彼は、塩を日本人に合わせて怖々使うような真似はしない。
飛び切り上質の塩を、しっかりとした塩梅で施す。
そこが、気に入っている。
嫌みな洗練は、彼の皿にはない。
食後、ペニョさん と話す。
気難しい人らしいが、その割によく喋る。
風貌もキューピー人形みたいで、可愛い。
失礼、二歳ほどですが年上の方でした。
彼が東京で働いていた頃、同じ場所で仕事をしていたことがある。
日本中が、バブルに湧いていた。
⎡あの頃、ほんと良かったよね。売上なんか凄かったもん。あれから、行った?あのビル。⎦
とペニョ氏。
⎡行ってないけど。あのビルをデザインしたの、フィリップ・スタルクって知ってた?⎦と僕。
⎡もちろん知ってるよ。彼、パリでは有名人でしょ。やっぱり儲けたんだろうね。⎦
⎡あの人は、今でも儲けてるよ。⎦と僕は答えた。
同年代、パリ育ちと大阪育ち、結局最後は金の話か。
だけどペニョさん、せっかく来てもらって悪いけど、あの頃に戻る力、日本にはもう無いよ。

京都下鴨 屋号:Pascal Peignaud

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