六十五話 除夜に想う。

僕は馬鹿だからよく解んないんだけど。
人が時代を創るんじゃなくて、時代が人を創るんじゃないかと思う時がある。
大阪にある母の実家の近所に、天性の明るさと知を備えた作家がおられた。
司馬遼太郎先生。
先生は、よく⎡時代人⎦という言葉を使われた。
この人がいなければ、国は滅んでいたと称される英雄が乱世にはよく登場する。
しかし先生は英雄を著書で讃えながら、一方で英雄待望論を否定される。
英雄もその時代が産んだ平均的人物のひとりに過ぎない。
いなければいないで、代わりを務める者がおり時代の趨勢は大きく変わることはない。
先生考案の⎡時代人⎦という言葉は、こうした考えを一言で伝えているのだと思う。
後の人達に、僕たちは⎡時代人⎦としてどう映るんだろう?
今、大方の日本人は、⎡辛い時代⎦だとか⎡夢が持てない⎦と口にする。
⎡そうなんだ⎦と思って国の外を歩いてみる。
日本のアニメーションを観て、子供からいい歳の親爺までが泣いたり笑ったりしている。
日本のボーカリストの歌声が、全米から騒乱のギリシャまでを魅了している。
日本のアイドルを一目でもと、仕事も休んで徹夜で会場に並ぶ連中もいる。
日本の喰いものを味わおうと、饂飩屋から寿司屋にまで行列ができる。
日本の漫画を原文で読もうと、辞書が買われ語学学校は予約待ちとなっている。
日本の洋服に袖を通したくて、為替の逆風で倍も三倍にもなる値に大枚をはたく。
日本の髪型とか黒髪に憧れて、日本の女性雑誌を手にサロンへと向かう。
日本の寝具が身体に良いからと、畳屋や布団屋を営む奴までいる。
洋の東西を問わず⎡日本熱⎦は世界中に伝播しようとしている。
日本羨望現象は、報道だけでは理解出来ない。
実際に体感してみると、その深さと規模の大きさに驚かされる。
ただ、⎡日本の⎦と付けば何でも良いという訳でもなさそうだ。
大企業が綿密に海外市場を探索し練り上げた代物は、意外に苦戦している。
彼等が羨む日本とは?
作者個人或は小さな組織が、身近な人達に向けて発信したモノや行為。
要は、⎡日本人による日本人のための⎦という事になる。
こんな時代だからこそ、ちょっと意地を張ってみるのもいいんじゃないかなぁ。
日本人が工夫し創った服を着て。
日本人が育て収穫した食材を喰って。
日本人が建てた家に暮らして。
インターネットや百貨店やスーパーとかで適当なものを買うんじゃなくて。
プラモデルみたいな家をカタログ注文するんじゃなくて。
街場の商店街で玄人の目利きを通したものを買って。
地元の大工と一緒に建てた景色に馴染む簡素な家を住処にして。
面倒臭いかもしれないし、安くもないかもしれない、でもカッコ良いと思うんだけど。
開国以来モノマネ猿って言われてきたけど、今度はこっちが教えてやるよみたいな。
今宵は、二〇一一年十二月三一日除夜。
暮れゆく年は、お世辞にも良い年とは言えなかったけど。
それでも時代は流れる。
まぁ、もうちょっと待ってて下さい。
そのうち評判どうりの他人が羨む国にきっとなりますから。

Good-bye, year of the RABBIT.

大晦日まで馬鹿なブログにお付合い下さいましてありがとうございました。
迎える年が、同時代を生きる全ての⎡時代人⎦にとって良い年となりますように。

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