八十話 糀屋

僕は、供されたものは何でも美味しく戴く良い奴です。
だいたい、旨いだの不味いだのと、いい歳をした男が言うもんじゃない。
ただ、冷凍食品とかはちょっと。
それに、百貨店で売られている出来合いの総菜もご遠慮願いたい。
あとは、スーパーとかの………………。
⎡いちいちうるさいよ⎦
⎡全く、どういう育ち方すればこんな面倒な男になんのぉ?⎦
そう言われても、人生の半分以上あんたが育てたようなもんなんだから。
ところで、⎡糀屋⎦という商いをご存知だろうか。
家庭で味噌を仕込んでいた頃には、どの街場にも一軒は在ったらしい。
母が面倒がったのか、すでにその時代ではなかったのか。
僕は、⎡家仕込みの味噌⎦がどんなものかを味わったことがない。
嫁は、彼女の母から聞いて知っていたと言う。
⎡わたし、ちょっと寄りたい店があるんだけど⎦
明石の⎡魚の棚⎦商店街が西にきれた辺りに⎡こうじや京作⎦は在る。
構えは小さく立派という訳でもない、一見何を商っているのかもわからない。
引戸を開けて店内へ。
古い木製看板や木桶が転がっていて、古道具屋みたいな雑然とした風情である。
高校生らしい女の子が店番をしている。
この子が、いきなり商い物の能書きを説き始める。
僕は自分が能書きを垂れるのは好きだが、人のを聴くのは基本的に好まない。
が、この子はやけに熱心だ。
それに俄に仕込んだ知識ではなく、説明も要領を得ている。
ひょっとしたらこの御店のお嬢さんかも。
訊けば、創業は一六八二年。
松平直明公の御用商人として越前大野より明石に移って以来営んでいるという。
三三〇年以上、現店主で十四代。
お嬢さんかどうかは別にしても、そりゃぁ胸張っての講釈もぶちたくなるわなぁ。
せっかくなので、お嬢さんお勧めの⎡塩糀⎦について少し受売りを披露させて戴く。
塩糀は、米麹と塩に水を混ぜて熟成させたものである。
麹の米粒が少し溶けて白く濁り、とろみがあって見かけは甘酒に近い。
舐めると塩辛く、後にほんのりとした甘みが残る。
昔から野菜や魚の漬け床として用いられてきた。
お嬢さんは、この塩麹を調味料として使うのだと言う。
それも、エスニック料理やイタリア料理に。
⎡え~、マジですか?麹風味のイタリアンなんて訊いたことないけどぉ⎦
⎡おだまり、どうせあんたが作るんじゃないんだから⎦
早速帰って料理にとりかかる。
いや、とりかかって貰った。
⎡ 厚切り豚ロースのソテー ⎦を作るんだって。
調理法はと言うと。
豚肉に塩麹を擦込んで一晩置く、後はフライパンで焼くだけ。
塩も胡椒も無し。
いくら秘伝の調味料たって、これしきの事で旨いもんが喰えりゃ世話ねぇよ。
喰ってみた。
旨い、抜群に旨い。
独特の甘みがあって、香ばしく旨味が籠っている。
発酵させたものにありがちな癖も全くない。
凄げぇ~なぁ、塩麹。
⎡ねっ、凄いでしょ⎦
⎡ほら、これさえあれば、あんたもひとりで暮らせるかもよ⎦

あっ、そういうことだったんだ。

明石 屋号 : こうじや京作

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