百二話 野田の藤

今年も庭に藤が咲く。
梅から桜へ、桜から藤へと季節に歩を合わせて花もうつろう。
これから初夏にかけて、この古館は緑にすっぽりと包まれていく。
庭も年を通じて一番賑やかな時期を迎える。
さて、藤の噺だが。
この国には二種類の藤がある。
ひとつは⎡山藤⎦
山野に在って大木に這い登り遠目にも見応えのある大輪を咲かせる。
いまひとつは⎡野田藤⎦
在所の庭に咲き一輪でというよりは棚に仕立て群れの連なりを眺める。
古来より、
⎡吉野の桜、野田の藤、高雄の紅葉⎦と称される。
足利将軍も太閤秀吉もこよなく愛でたという⎡野田の藤⎦
⎡野田⎦の名は、Musée du Dragon のほど近く福島区玉川辺りを指す。
日本固有種⎡野田藤⎦発祥の地である。
⎡へぇ~、一目見てみるかなぁ⎦と思われる方もおられるかもしれない。
ただ、藤の艶やかで壮観な眺めを期待されるとお応え出来ない。
⎡野田の藤⎦は悲運の花とも言われる。
信長の本願寺攻めで、春日神社付近に咲く藤は境内もろとも焼き払われた。
その後、町衆の尽力で生き存えるのだが。
明治期の市街地開発により数が減り、昭和期に入っても難儀は続く。
大阪空襲では壊滅寸前までに追込まれた。
奇跡的に残った古木二本もジェーン台風による高潮に見舞われ遂に最後の一本となる。
その最後の⎡野田の藤⎦も戦後の高度成長に沸く大阪に在って顧みられる事はなかった。
公害により古木の勢いはますます衰えていく。
昭和も四十五年になりようやく大阪市が保護にのりだす。
そして現在、祠のような小さな春日神社の境内にこれまた小さな藤棚がある。
今では手厚く構われ、それに答えるように花をつけているらしい。
これが、庭に咲いている老いた藤の故郷にまつわる話である。
⎡野田⎦にある実家の⎡藤⎦連中に比べれば気楽なもんだ。
海辺とはいえ潮風はここまでは届かない。
高台にあって遮るものもなく燦々と日の光を浴びて育ってきた。
喉が乾いたと言えば水を貰い、腹が減ったと言えば肥を貰う。
年に何度か散髪をして貰いもする。
庭中に花びらや落葉を撒き散らしても文句も言われず掃除をして貰える。
仕事といえば、母の寝室へ直に光が入らないよう加減するくらいのもんだろう。
そうやって気楽に生きてきた。
これからも平穏無事に生きるつもりでいるに違いない。
波乱万丈も順風満帆もある。
花の一生も花それぞれだ。
でも、この古屋を建替えるとなったらこの藤どうすっかなぁ。

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