百六十〇話 除夜に願う。

今年も暮れそうですけど。
皆さん一年の大晦日をどうやって過ごされてますか?
こうやって静かに暮れゆく年の瀬に、夜明けを待たずにメールをしてきた奴がいる。
携帯電話を開けるまでもなく、この手の無礼を平然と働く男はこの世にひとりしかいない。
毎度お馴染み ANSNAM の中野靖だ。
目を擦りながら開いてみると何のコメントも無く一枚の写真だけがある。
暗がりの雪原に二棟の建物だけが写っている。
そういや昨日、電話で夜行バスに乗って花巻に行くとかなんとか言ってたような。
薄らいだ記憶を辿ってみる。
⎡明日行こうと思ってるんですけど⎦
⎡何処に?⎦
⎡花巻の機屋さんにですよ⎦
⎡マジで? 寒いのに御苦労さんだね⎦
⎡いやいや、御苦労さんじゃなくて、蔭山さんどうするんですかぁ?⎦
⎡俺は、先月東京で先方さんにお会いしたからもういいよ⎦
⎡え〜っ、その時に僕も行くとか何とか言ってたじゃないですか?⎦
⎡あ〜ぁ、それは暖かくなって桜でも咲く頃にって話だろ⎦
⎡だいいち考えてもみろよ⎦
⎡こういう重要案件はアシスタントの俺じゃなくて、デザイナーのテメェの仕事だろうがよぉ⎦
⎡そうやって都合でアシスタントとかになるの止めて貰えませんかねぇ⎦
⎡うるせぇなぁ〜、とっとと行けよ、でないとまた間に合わねぇって事になるじゃねぇか⎦
⎡とにかく頑張ってな、Good Luck !! ⎦
なんかそんな感じだったような。
とすればこれは横殴りに吹雪く東北の夜明け前ってか?
なかなか感心な話だ。
難易度の高いハンドメイドによる素材開発を目指すからには、デザイナー自身が出向くしかない。
機屋が動き出す時間まで寒空の下まだ随分待たなければならない。
凍え死ななきゃ良いけど、こうなると服創りも命懸けだよな。
朝早くに面倒臭いけど、二度寝する前に激励のメールでも返信しといてやるか。
⎡やっぱり東北の雪は情緒があって良いよねぇ〜⎦
⎡じゃぁ、おやすみ Z Z Z z z z 〜 ⎦
雪明かりの下よほどにする事がないんだろう、すぐ返信がきた。
⎡あ〜ぁ、そうですかぁ?アシスタント様はぬくぬくと布団の中ですかぁ?畜生、なんで俺だけがぁ?⎦
ウザイ、ほんとにウザイ野郎だ。
今ではすっかり怠慢な人間に成り下がったが、中野君くらいの歳だった頃にはよく産地に出向いた。
夜行列車で早朝北国の駅に着き、前日連絡して鍵の場所を教えられている駅前の食堂に入る。
食堂のババァは起きてはこないが、前日の晩に朝飯を用意しておいてくれている。
ポットの味噌汁と炊飯器からよそった飯に卵をかけて喰いながら機屋の迎えを待つ。
越後の空は暗く、雪は重い。
貧乏臭い商売だと言われるかもしれないが嫌いじゃなかった。
岩手花巻に話を戻す。
岩手の織物工芸には、花巻農学校で教鞭を執っていた宮沢賢治が深く係わったとされている。
宮沢賢治は、相次ぐ冷害に見舞われた北国の農民に糸を紡ぎ染め織ることを奨励した。
生活の足しと生き甲斐が理由だったらしい。
以来、英国を発祥とするホームスパン・ツィード織物の産地として岩手は知られるようになる。
そして、東北人の強靭な忍耐力と精神を映した織物は仏トップ・メゾンのアイコン素材となった。
⎡産地には糸の神が宿っている⎦と言った先輩の言葉を今でも信じている。
⎡神⎦とは、その産地に生きる人々が受継ぐ土着の精神と言換えて良いのかもしれない。
その神様にお願いします。
願わくば、
“雨ニモマケズ、風ニモマケズ”の精神を、 ANSNAM に、中野靖に、とことん注入してやって下さい。
そして迎える年が 、ANSNAM にとって、中野靖にとって、良い年でありますように。
って、なんで俺がこんな事願わなきゃなんねぇんだよ。
馬鹿馬鹿しい。
そんなことより、年の暮れまで馬鹿噺にお付合い下さいましてありがとうございました。
皆様、良いお年をお迎えくださいますようお祈り申し上げております。
暮は十二月三十日午後六時まで、年明けは一月三日から平常どおりの営業です。
年末年始、暇な方もそうじゃない方もよろしくです。

カテゴリー:   パーマリンク