百七十五話 豚番長がいる。

東京の青山に “ 豚番長 ” がいる。
番長という名からなんか怖い人を想像しがちだが、実際に顔を合わせるともっと怖い。
飲食業界でも気安くものを言える人は少ないらしい。
この櫻井信一郎という料理人、他に並ぶもの無しと評される豚料理の名手である。
南青山の住宅街の奥まった場所に佇む 薄暗い店で凄腕を振るっておられる。
“ LAUBURU ”
その屋号は、バスク地方に由来する。
店内は、右を向いても左を向いてもバスクの調度品が所狭しと設えられている。
独特の民族文化を継ぐバスク地方は、スペイン北東部と仏南西部に股がって存在する。
武装独立運動など複雑な事情を抱えながらも、
美しく、豊かで、真っ当な気質の人々が今も暮らす良い国である。
僕は、仏側の郡庁所在地である Bayonne しか訪れたことはないがもう一度と思わせる場所だった。
その Bayonne の名物 “ Jambon de Bayonne ” もそうだが地方全域で色んな豚料理が盛んに食される。
アドゥール川流域の村で採れる岩塩と、
ピレネー山脈を越えて大西洋から四日に一度届く湿気を含んだ風が絶品の生ハムを産む。
“ LAUBURU ” の故郷バスク地方は豚料理の聖地でもある。
雪がちらつくなか、南青山の路地奥にある番長の根城を目指す。
この辺りは晩になると人通りも少なく暗い。
木製扉を開けて店に入ると、日本人と在日仏人が半々くらいで相変わらず賑わっている。
喉の調子が悪かったので、カンパリを苦みのあるオレンジジュースで割ってもらうことにする。
前菜は、厚めにスライスした番長特製の生ハムとポロ葱のパテ。
主菜は、丹波篠山産 “猪肉” の赤葡萄酒煮込みと放牧黒豚骨付ロースのグリエ。
この Côte de porc grillé という料理は、いたって簡素だ。
なんせ豚肉を塩で加減して炭火で焼くだけなんだから。
ただそれだけの一皿がなんでここまで感動的に旨いんだろうか?
そりゃぁ豚肉も良いんだろう、塩梅も絶妙なんだろう。
ただ、それだけでは説明のつかない凄みのある旨さが存在する。
さすが豚番長、見かけも怖いが味にも暴力的な骨太の旨さがある。
食後は、ベタに “ gâteau basque ” にしようかと思ったが “ profiteroles ” で〆ることにした。
積上げたシューアイスにチョコレートを溶かしてぶっかけた菓子である。
その昔、仏におけるチョコレートの歴史は Bayonne から始まった。
十六世紀の終り頃の話だ。
甘く冷たい “ profiteroles ” を頬張りながら、黒板に書かれたメニューを改めて眺める。
そこには、スペインでも仏でもない偉大なバスクへの想いが溢れているような気がした。
意外と豚番長は、顔に似合わずロマンティストなのかもしれない。
そんな想いが込められた豚番長の豚料理は、間違いなく至福の一皿です。
屋号に冠した “ Lauburu ” は、バスクの十字架と言われ 火・土・水・空気 を象徴する。
どれもが人の営みにおいて不可欠であり、空気を風とすればバスク料理の要でもある。
いやぁ〜、なかなか深いですなぁ。
⎡豚番長、豚を料理させて右にでる者無し⎦との噂は嘘ではない。

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