百八十九話 恩師の予見

僕は馬鹿だが、昔はもっと馬鹿だった。
なんせ嫌いな事は頑としてしない達だから、勉強なんて出来っこない。
そんな人間が大学でひとりの教授に出逢った。
磯博先生。
不世出の日本美術史家と謳われた源豊宗先生の後を継いで名誉教授にまでなられた学者である。
文化庁も認める我国きっての文化財保護功労者でもあった。
描いた拙い絵をたまに見て貰ったり、
古書店巡りの荷物持ちをしたり、先生の飲屋通いのお供もさせていただいた。
⎡おまえ、そんなに絵が好きなら専門課程で俺のとこに来ないか?⎦
⎡先生無理ですよ、俺馬鹿だから編入試験受からないですよ⎦
⎡とにかく受けてみろ!⎦
助教授の先生から後で聞いた。
僕の至らない点数のせいで、教授会の席上何度も頭を下げられたらしい。
だから、晴れて先生のもとで学ぶ事になってからは真面目に励んだ。
その時は、恥ずかしいのでひとには言わなかったけど生涯で一番勉強したんじゃないかと思う。
せめて論文だけでもちゃんとしないと、先生にまた恥じをかかせる事になる。
先生も所蔵されている貴重な書籍を惜しみなく貸して下さった。
古書店に持込めば、ひとが半年間憂に暮せる値のものもあったと思う。
それらの中に、岡倉天心が曽我簫白について論じた本があった。
岡倉天心は、日本美術院の創設者で近代日本における美学研究の頂に君臨する明治期の学者である。
また、米国に於ける東洋美術品の収集家として名を馳せた Ernest Fenollosa のもと、
ボストン美術館で東洋美術部長を務めた人物として知られる。
岡倉天心は、その中で曽我簫白の作品をことのほか高く評価している。
しかし、国内研究では異端とか奇才とか評され、画系としても本流から外れた存在に過ぎなかった。
そもそも、桃山期に始まったとされる曽我派は、簫白登場時にはすっかり廃れてしまっている。
作品自体も公聖寺に残る簫白の代表作 “ 寒山拾得図 ” はさすがに知られているが、
それ以外となると簫白愛好家を除けば一般的にあまり知られていない。
評価低迷の時期が長く続いたせいか、真贋定まらぬ作品も多くある。
⎡曽我簫白ってどうなんですかねぇ?⎦
⎡君はどう思う?⎦
⎡精緻を極めた日本画の筆法とはほど遠いというか、荒いというか、雑な感じというか⎦
⎡記述には白隠慧鶴の禅画や墨蹟の影響とありますけど、なんか人を喰ったような感じがしますけど⎦
⎡まぁ、君の表現は、あいかわらず稚拙だけど明治以降今に至る評価はそんなところだろう⎦
⎡だけど、美術史観は社会の有様で変ることもある、存外近い将来曽我簫白の時代が来るかもしれんよ⎦
⎡実際、江戸期には円山応挙ほどでないにせよ結構人気があったんだからねぇ⎦
⎡しかし、そうなると海を渡らせたツケは大きいねぇ、頭を下げて拝みに行かなくてはならんからなぁ⎦
曽我簫白の作品の多くは、ボストン美術館が所蔵している。
そして、今。
Ernest Fenollosa が、日本の美術品を買い漁った地でもある大阪に曽我簫白が帰って来た。
⎡ボストン美術館 日本美術の至宝展⎦
狩野探幽、長谷川等伯、尾形光琳など、
日本美術史に燦然と輝くスーパースターを尻目に展覧会のフィナーレを飾った屏風絵があった。
曽我簫白筆 “ 雲龍図 ”
縦一六五センチ、横一〇,八メートルの巨大な龍がうねっている。
中央部が欠けているものの、墨景が放つ迫力は圧巻の一語に尽きる。
龍の動態を的確に捉え一気呵成に描き上げた墨の一大スペクタクル。
日本での来場者は一〇〇万人を突破したらしい。
異才と蔑視され、狂気と罵られた天才絵師 “ 曽我簫白 ” 没後二百有余年を越えた快挙である。
どこか滑稽な龍の表情は、海の向こうに手放した日本人にこう言ってるようにみえる。
ザマァミロ!

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