三百五十二話 夢の肉宴!

馴染みの肉屋で。
「すいません、T-bone ありますか?」
「ねぇなぁ」
「 なんでだよ?」
「仕入れても、切る道具がなけりゃ捌けねぇんだよ」
「 道具ぐらい買えよ!てめぇんとこは、親の代からの肉屋だろうがよ!」
「そんなもん買っても、喰う奴がいなけりゃ邪魔になるだけだろ」
「ここにいるだろうがぁ」
「ひとりじゃはなしになんねぇなぁ」
「ったく!使えねぇ肉屋だよ!」
馴染みの肉屋だけじゃなくて、どこの肉屋でも手に入らない。
無いとなったら、余計に喰いたい。
いや、喰うだけなら、どっかステーキ・ハウスで注文すれば済むのだが。
正確には、自分好みの肉を自分好みに焼いて喰いたいのである。
肉の嗜好は、異性との相性に似ていると思っている。
好みというものがあって、美人でさえあれば良いかというとそうではない。
性格が良ければそれで満たされるかというとそうもいかない。
要は、世間や他人の評価とは異なる次元で好きか嫌いかに分かれるのである。
結果、なんでこんな良い女にこんな駄目男がというあってはならない組合せも出現する。
僕は、意外と外人が好みで Toscana 産などであればもういうことがない。
女じゃなくて牛のはなしなんだけど。
値の張る A五松阪牛とか、流行りの黒毛和牛とかは、肉汁が甘すぎていけない。
あの独特のとろけるような柔らかさも、好みからは遠い。
肉を頬張るという感覚が欠落していて、流動食のような物足りなさが残る。
やはり、肉の雄々しい歯応えを追い求めると T-bone Steak に行き着くのだと思う。
もちろん T-bone の素晴らしさは、歯応えだけではない。
T 字形の骨は、左右に分かれた二種類の異なった部位の分水嶺となっている。
柔らかく木目細かい肉質の Sirloin と脂肪が少ない Tenderloin が骨を境に仲良くくっついていて。
双方を一度に味わえるという夢のような肉宴が、一皿の上で完結するのだ。
これはもう万物創生の神から授かった贈物としか言いようがない。
「うるさいよ!いつからそんな面倒臭い男になったの?」
「T-bone Steak を何とかしてくれって、素直にそう言えばいいじゃん」
「なにが 万物創生よ! 馬鹿じゃないのぉ?」
と言いながらも嫁は良い奴で、手を尽くしてくれたみたいだ。
一悶着後の大晦日、キッチン・テーブルの上には解凍を終えた米国産一キロ弱のT-bone が。
「Oh My God ! Wonderful ! Beautiful ! 」
「だからうるさいんだって!さっさと焼いて、さっさと食べてよね」
裏に刻みを入れて大蒜の小片を仕込み、両面にオリーブ・オイルを丁重に塗り、塩と胡椒を振って。
肉汁が逃げないようにじっくりと焼いていく、むやみに返してはならない、突っついてもいけない。
目指す焼加減は、ミディアム・レアだ。
「なぁ、中心温度を五◯度にしたいんだけど、調理用温度計ってない?」
「あるわけねぇじゃん!そんなもん!」
それでも香ばしい肉の焼ける香りが部屋中に漂う。
もう、その香りだけで白飯が喰えるくらいだ。
「あのさぁ、お取込み中のとこ申訳ないんだけど換気扇回してもらえる? 前が見えないんだけどぉ」
こうして二◯一四年〆の晩餐は、絶品の T-bone Steak となりました。

まさしく夢の肉宴です。多謝!

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