三百四十六話 大晦日の吊り橋

海辺の家の東側に見える明石海峡大橋です。
そして、航行安全用の明かりは、大晦日バージョンに切替りました。
訊くところによると二八パターンもあって、時々に夜空を彩るらしい。
主塔の高さは、海面から二九八.三メートル。
東京スカイツリー、東京タワー、あべのハルカスに次ぐ高さなのだそうだ。
こんな世界最長の吊り橋も、竣工から十六年という月日が経つとすっかり風景に馴染む。
住人達は、普段ことさらに見上げないし、灯の色が変わっていても気づかないこともままある。
橋を企画管理している方々にとっては、少々甲斐のない始末ではあろうが。
そうなのだから、しょうがない。
僕が、初めて海辺の家を訪れた三六年前には、もちろんこんな吊り橋は無かった。
だけど、橋が無かった頃の情景を想い浮かべようとしても、いまいちボヤけていてうまくいかない。
それほどに、もう橋の在る景色があたりまえになってしまっているのだろう。
ひとの記憶なんて、いい加減なものである。
向島や阿倍野の下町から見上げる塔やビルも、やがてはそうなるんだろうと思う。
街場の情景は、そこに暮らす人々が好むと好まざるをよそに変わっていく。
この港街も、変わった。
吊り橋のように新しく描かれたものもあるし、逆に掻き消されたものもある。
かつて海沿いに建ち並んでいた古びた洋館が取壊され、高層マンションへと姿を変える。
情緒的には残念な気もするが、実利的には功を奏した。
街場で暮らす人の数は増え、寂れることなくこうして賑わっているのだから。
やはり、情緒が実利に勝るといったようなことは起きないのかもしれない。
たいていの物事には、それぞれに役割が備わっているものだが。
時が経つとその役割も新しい担い手が現れ、代わって果たされるようになる。
今の時代では、役割そのものが 無くなったりもする。
十六年前まで、島へと人や貨物を渡す役割を担っていたのは船だった。
吊り橋が竣工した時、その船舶会社の存続を皆が危ぶんだのだが、それでも運行は続けられていた。
だが、昨年の春、明石港と岩屋港を結ぶフェリー航路は、五八年の歴史に幕を閉じることになる。
当事者の方々にとっては一大事であったろうけれど、街場の暮らし向きにはさほどの変わりはない。
島から商いものを仕入れている駅前の卵屋の婆さんが、 世も末だみたいなことをほざいていたが。
最近では、自分達が船に頼って商ってきたことすら忘れてしまっている。
こんな巨大な吊り橋にしてそんな具合なのだから。
街場に在る店屋の新陳代謝など、いちいち気にかける話でもない。
古い店屋の幕が降りて、新しい店屋の幕が上がる。
ただそれだけの事だろうし、またそうでなくてはならない。

今年一年 Musee du Dragon をご愛顧賜りまして有難うございました。
また、こんな拙い blog を一年間お読み戴きましたことを感謝申し上げます。
新年の営業は、一月三日より始めさせて戴きます。
新たに迎える年が、皆様にとって良き一年となりますように願っております。
それでは、良いお年をお迎えください。

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