三百三十三話 PUNK の父が愛した帽子

スタッフが、期末の倉庫整理をしていたら、奇妙な帽子が出てきたという。
なんかジャガ芋みたいな帽子で、なかなかに良いじゃん。
二◯◯九年冬の入荷とあるから、五年ほど前になるのかぁ。
SLOWGUNの小林学氏が創った帽子だ。
まぁ、その時には売れなかったから、こうして倉庫にあるんだろうけど。
しかし、なんか今時な感じで新鮮に映る。
五年前と言やぁ、“ ROCK ” だの “ LUXURY ” だのといった言葉が飛交っていた時分だろう。
小林氏が言うこの Hippy Hat にとっては、旬とは言い難い不遇の時だった。
遅くても駄目だが、早くてもこれまた駄目で、残念な結末となる。
帽子好きとしては、このまま眠らしてしまうのも惜しい気がする。
ひとつは、いきがかり上僕が買うとして、残りを店に出すことにした。
店に出すにあたって、ちょっと帽子の話をさせて戴く。
この Hippy Hat とは、多分 Mountain Hat のことじゃないかと思う。
だとしたら、Mountain Hat は、やはり山高帽の一種で。
英名 Bowler Hat と呼ばれる山高帽が考案されたのは、一八五◯年頃だと言われている。
倫敦の St. James 街で生まれたらしい。
ある客が、乗馬の際に低い木の枝から頭部を保護する帽子が欲しいと依頼があった。
所謂 Iron Hat 的なものだったんだろう。
客の素性は、Thomas Coke で、後の Leicester 卿である。
別名 Coke Hat とも呼ばれるのは、この顧客名が由縁だとされている。
一方、服飾名として通じている Bowler Hat も人名に由来していて。
こちらは、William Bowler という名の帽子製造業者で、この男が山高帽を最初に創った。
まったくもって、どっちでも良い話なのだが。
僕にとっては、こちらの話の方が肝心である。
Mountain Hat と聞けば、この方の肖像が浮かぶ。
詐欺師、反逆者、預言者、そして “ PUNKの父 ” と称された男。
Malcolm McLaren
そして、“ Punkの父 ” がこよなく愛した帽子が、この Mountain Hat だった。

頭頂部が、四方に凹んで山のように尖った奇妙な帽子を被っている。
おそらく、一九八◯年代に伝説の店 World’s End で売られていたものだろう。
では、何故 SLOWGUN の小林氏が、この Mountain Hat を Hippy Hat と名付けたのか?
Hippy が誕生した一九六◯年代後半、巴里五月革命に多大な影響を与えたのは状況主義者達だった。
Malcolm McLaren もまた状況主義者だったと言われている。
Punk は Hippy のアンチなのだと捉えられているが、
実は Punk とは Hippy の子供なのだという説もある。
PUNK を生んだ人達は、Hippy が成しえなかった事をより過激に成そうとしたのかもしれない。
この年代の欧米 Subculture に並外れた見識を持つ小林氏のことだから。
Punk と Hippy のこうした関係性を意図して、この帽子を Hippy Hat としたのだと思う。
ファッションで、世界を変えられる。

かつて、そんなことを本気で考えていた人達がいた。

 

 

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