三百三十二話 街場の良い店、悪い店

“ 食べログ ” みたいに奇妙な物差しで、店屋の良し悪しを測ることが当り前のようになってしまった。
“ 口コミ ” とかいう書込み欄があって。
気の効いたことを書込むならまだしも、一度暖簾を潜った程度で、あれこれ悪口を叩く輩もいる。
大抵が、長年見知った常連客を相手に、ひっそりと商っている店屋が槍玉にあがることが多い。
店屋にとっても、その店屋に通い続ける御常連の方々にとっても、侮辱に他ならない。
街場の店屋がなんたるか?
その分別も身につけぬままに、悪評を曝すのは品のある大人の行為とはいえないだろう。
銭さえ払えばなにを言っても許されるというものではない。
なんか、年寄の説教みたいな話になってしまったけれど。
ほんとうに止めてもらいたいと思う。
ちょっと前、急に焼鳥が喰いたくなって、中山手通りの中程に在る店屋の暖簾を潜った。
“ いのうえ ” という屋号で、カウンター一〇席ほどを女将さんひとりで切盛りしている。
店員に笑顔がなく愛想が悪い、値段が法外だ、味はそこらの焼鳥屋と変わりはない。
書込みを要約すると、こんなところだ。
言っておくけど、僕は、この焼鳥屋になんの義理もない。
この女将の馴染みでもなく、通い詰めた常連でもなく、ただの一見の客である。
だからいちいち反論するのも大人気ないし、面倒なのだが、この言草にはちょっと黙っておれない。
まともな職人は、焼き台から片時も目を離さないものだ。
ちょっとした加減の不具合で、味が台無しになるから。
へらへら愛想振り撒きながら、鳥を焼く職人がいたとしたら、そいつは碌なもんじゃない。
どう見ても女将ひとりの焼鳥屋に入っておいて、愛想が悪いもないもんだと思う。
此処の鳥は、地鶏で、丁重に下処理されてあって臭みも無いし、噛み応えもしっかりとしている。
よほどに信用がおける鶏業者が出入していなければこうはいかないし、鮮度も申分ない。
希少部位もあって、多分仕入値も張るだろうから、ことさら高くはないだろう。
少なくとも、“ 法外に ” という表現は妥当ではない。
旨い不味いは、ひとそれぞれだろうから一概にそうじゃないとは言えないが。
新鮮な地鶏を、いろいろな部位ごとに指先で丁重に仕込み、備長炭でゆっくりと焼いていく。
あたりまえの仕事を、きっちりとこなされていて、いい加減なところなんてひとつもない。
この女将さんは、きっと生真面目な方なんだろうと思う。
僕は、鶏肉の中でも “ セセリ ” が一番好きなんだけど、此処のは絶品だ。
何処にも引けはとらない味だろう。
いづれにしても、“ いのうえ ” は、ちゃんとした間違いのない街場の名店である。
カウンターの端で、初老の御常連が飲んでおられた。
焼き台を離れた女将さんも加わって、かつての街場噺となった。
記憶に残る名店が在って、そこには今も語り継がれる料理人が居た。
神戸は小さな街で、世代と嗜好が近ければ、共に通ずる飯屋や BAR も多い。
仏料理店 “ Jean Moulin ” の美木、伊料理店 “ Bergen ” の安田、懐石料理店 “ 馳走 ” の半田。
一癖も二癖もある凄腕料理人達が率いた伝説の飯屋が、同じ時代に、同じ街に在った。
初老の御常連が言った。
「北野町 “ Bergen ” は、僕の設計施工だよ」
神戸モスクの傍に建つ “ Bergen ” は、北伊の風情を纏った異国情緒漂う落着いた構えだった。
「ホントですかぁ?じゃぁ、あの骨董箪笥の引出しに麺を収納するっていうスタイルは?」
「おっ、嬉しいねぇ、そんなことまで憶えててくれて、あれは、安田と俺とで考えたんだよ」
今度は、女将さん。
「そういや “ 馳走 ” の半田さんって、うちの御客さんやったんよ」
「へぇ〜、そうなの、半田さんが煮た鯨のコロ、もう一遍食べてみたいなぁ〜」
「思い出したわぁ!あれホンマにどないなってんねやろっていうほど美味しかったよねぇ」
話は尽きず、一見客の身で、思わぬ長尻となってしまった。
「すいません、そろそろ失礼します」
すると、初老の御常連が、スッと席を立たれて。
「先輩、今晩はホントに楽しかった、ご一緒できて良かった、有難うございました」
「 先輩って言われても、僕かなり歳下ですけど、でも、またお目にかからせてください、此処で」
「わたし、毎週、月曜と木曜は、此処に居ますから是非」
えっ? 週二回も焼鳥屋って?
どんだけの鶏好きなの?
いや、ひょっとして、目当ては、鶏ぢゃなくて女将さんの方なのかもしれない。

✭ の数で、店屋の実像が知れたら無駄銭叩くこともなかろうが。
街場は、そんなに甘くないよ。

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