三百十二話 ブルーライト・ヨコハマ

街の灯りがとてもきれいね
ヨコハマ ブルーライト・ヨコハマ
あなたとふたり幸せよ

一九六八 年、稀代の美人歌手いしだあゆみさんが唄われた。
橋本淳先生が作詞され、昭和歌謡史に名を残す大ヒットとなった。
僕が、三〇歳になるかならないかの頃。
巴里からの帰国便がアンカレッジで故障し、空港内のラウンジに長時間閉込められたことがある。
ソビエト連邦崩壊以前の欧州航路は、アンカレッジで給油し北極圏を跨いで行き来していた。
アフリカ・ロケで体調を崩されたあゆみさんも、その故障機におひとりで搭乗しておられた。
たまたまラウンジで隣合せになり、整備を終えるまでの時間をご一緒させてもらう。
長時間のフライトでも、ピシッと背筋を伸ばされ、いささかもその美貌に翳りはない。
当時の欧州便に日本人はそんなに多くなかったが、空港内に居合せた誰もが振返っていた。
図抜けた美人というのは、洋の東西を越えるのだと思う。
育った場所が隣町同士だったこともあって、ローカルな話題で盛上がった。
大女優でもある人気歌手と駆出しのガキ、誰の目にも不釣合いに映っただろうが。
この歳になっても、ちょっとした自慢ネタにしている。
いしだあゆみと言えばブルーライト・ヨコハマ、ブルーライト・ヨコハマと言えばいしだあゆみ。
そんな名曲の舞台となったヨコハマにいる。
結婚式に夫婦で招かれてのことだったが、嫁は大阪から、僕は出張先の東京から、ホテルで落合う。
顔を合わせたのは、夜の一〇時前で、遅い晩飯を喰いに出掛ける。
ところが、意外にヨコハマの夜は早い。
近くの中華街も、店仕舞いの支度を始めていて、今からの注文に付合ってくれそうにもない。
「嘘ぉ〜、ヨコハマって、こんなに早仕舞いなの?」
「みたいだよなぁ、しょうがないから BAR 飯にでもするかぁ」
「 全然 OK だけど、何処か当てでもあるの?」
久しぶりのヨコハマで新規の店屋は知らないけど、地元で愛され続ける老舗なら数軒憶えがある。
戦前から建つ Hotel New Grand の裏通りにヨコハマを代表する一軒の BAR が在るはずだ。
石川町の BAR THREE MARTINI と言えば、ハマの酒飲みで知らない奴はいないほど有名な BAR だ。

“ ヨコハマの BAR は敷居が低い ” と先輩から聞いたことがある。
BAR THREE MARTINI もそうで、飴色の店内は、雑然としていて賑やかだ。
張りつめたような BAR 特有の雰囲気はなく、港街に暮らす御常連の笑い声に溢れている。
気さくだとは言っても余所者には違いないので、入口近くのカウンター席に腰を据えさせてもらう。
取り敢えず、腹の足しになるものを先に注文して。
「なに飲もうかなぁ」
「せっかくヨコハマの BAR に来たんだからカクテルでしょ」
「俺は別のにするけど、YOKOHAMA から始めれば良いじゃん」
「YOKOHAMA ?」

“ The Savoy Cocktail Book ” の記載にはこうある。
Dry Gin 20ml / Vodka 10ml / Orange Juice 20ml / Grenadine Siroop 10ml /Absinthe 1dash
世界中どの BAR でも通用する日本名を冠したスタンダード・カクテル。
「旨ぁ〜」
敷居は低いが、仕事の水準は高い、これがヨコハマ・スタイルなんだろうか。
帰りがけ、社長の山下和男さんが、挨拶にと名刺を携えて出てこられた。
「ハマにお出ましの際にはまた是非、今度からは奥の席でゆっくりなすってくださいますように」
やはり名門 BAR のオーナーともなれば、その気配りは鋭く隙がない。
忙しい最中に恐縮です。
次は、噂のカツサンドとご自慢にされているジャズの名盤コレクションを目当てに伺いますので。
さて、明日は結婚式だし、そろそろ宿へ引上げるか。
“ 街の灯りがとてもきれいねヨコハマ ” って。

山下公園 真っ暗なんだけど。

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