三百二話 初盆 

この盆という風習がいつの頃から始まったのかは知らないが。
昔は、祖先の霊が子孫のもとを訪れるのは、 一年に二度とされていたらしい。
初春と初秋の満月の夜。
それぞれに、同じ意味合いで行事が執り行われていたのだという。
後に、初春の行事を神道が核となって正月祭となり、
初秋の行事は盂蘭盆会と習合して、佛教のもとで供養されるようになった。
八世紀頃には、今みたく夏に先祖供養がなされていた。
禅宗、特に曹洞宗の盂蘭盆会は、厳しい戒律に則って進められる。
七月の月命日法要に、老師がやって来て。
「八月四日は施餓鬼会や、喪服着てふたりで寺へ来なあかんで」
御釈迦様から伝わる経文を唱え、何百何千倍にも膨れ上った供物をありとあらゆる霊に施す法要。
それが、施餓鬼会である。
「えぇ〜、この糞暑いのに喪服で明石までって、ちょっとキツくない?」
「阿呆かぁ!本堂に入ってから上衣着たらええやないかぁ!」
言われなくっても、そうするけど。
問題は、冷房が効かないほどデカイ本堂なんだよ。
そう思っても、口にはしない。
「は〜い」
「それから、儂は、七日に此処に来るさかいな」
「えっ? また来んの? 何しに? 副住職に仕事奪われて暇なの?」
「なにを言うとんやぁ! 七日から、おかぁちゃんの初盆供養が始まるんやないか!」
「儂が来んで、どなしてやるつもりにしとんねん!」
「それまでに、ちゃんと設えとくんやで」
また、どうせ団子でしょ?
嫁は、そう思ったらしい。
だが、団子だけで済まなかった。
もはや我家の定番となった団子はもちろん、素麺、変わりもののぼた餅に始まり、水の子まで。
水の子とは、米に生茄子と胡瓜などを賽子の目に細かく切って蓮の葉に盛ったものである。
このお膳を、一五日までの一週間欠かさず供さなければならない。
他にも、精霊棚、茄子牛、胡瓜馬、初盆だけの白無地提灯、白木の精霊船など。
いろいろと整えなければならない。
面倒だと思えば、確かに面倒ではある。
だが、この慣れない作業が妙に楽しかったりするのが不思議だ。
初盆には、近場の親類縁者だけでなく、遠くに暮す従姉や学生時代の友人がやって来てくれる。
生と死の境界を越えて集う儀式と言えば、少しおどろおどろしいけれど。
日本人の情緒が産み育んだ盆は、なかなかに Soulful で、Fantastic な美しい風習だと思う。
八月七日夜、門口で迎え火を炊き、その火を精霊棚の灯明に移し、手を合わせる。
そうして、義父と義母が連立って帰って来て、初盆が始まる。

海辺の家も、久しぶりに賑やかになるんじゃないかな。

 

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