二百四十話 高太郎

二百三十九話からの続きで、長い辛抱の末に、ようやく “ 高太郎 ” に腰を降ろす。
カウンターを挟んで大将と向合う席が、空けられていた。
⎡ほんとお待たせいたしまして、大丈夫でしたか?⎦
⎡何遍も言って、ひつこいようだけど、大丈夫じゃないんだって!⎦
⎡ほんと申訳ない、さぁ、お飲みもの、何になさいます?⎦
此処には、日本各地の厳選された酒蔵から特別に寄せられた目利きの酒が備えられている。
⎡悪いけど、今、酒の事まで頭がまわんないんだよね、腹減ってて、だから任せるわ⎦
⎡そんでもって、料理も任せるわ、漬け物以外なら好きも嫌いもないから⎦
⎡承知いたしました、じゃぁ、すべてお任せで、進めさせていただきます⎦
選んでくれた酒は、愛媛気鋭の酒蔵 “ 石鎚酒造 ” 備中杜氏の手による櫓搾りの純米吟醸酒。
お通しは、金時草と大豆のおひたしで、金沢名産の金時草の苦みと大豆の甘味、すっきりとした酒。
よく合う。
続いての刺身には、シャコ、ハマチ、鰹、〆鯖が盛られている。
実は、青魚をきつく塩〆したものが苦手で、生鮨も滅多に口にしないのだが。
この〆加減はゆるめで、身に油が塩梅良く残っていて、とても旨い。
魚は、鳴門近海を漁場とする決まった漁師から仕入れるのだそうだ。
そして、泣かせる一皿を供してくれる。
ポテトサラダなんだけど、上に燻製玉子が座っていて、崩しながら喰えと云う。
こういう仕掛けには滅法弱い。
程良い燻製によって、半熟玉子のようにグチャグチャにならず、ポテトの食感が保たれていて。
これだと、鉢一杯出されても、文句は言わない。
⎡この豆腐喰ってみてください、懐かしい味で、お通しの大豆もこの豆腐屋に分けて貰ったんです⎦
俺に、豆腐で能書をたれない方が良いのに、他の味には鷹揚だが、豆腐にだけはうるさい。
冷奴だけがのせられた小鉢に、箸をつける。
なんだぁ〜、この豆腐。
ひたすら滑らかな絹の食感に、雑味が一切無い圧倒的な大豆の甘味が、口に広がる。
⎡ねっ、凄いでしょ、この豆腐、池袋で看板も揚げずにやってる豆腐屋なんですよ⎦
⎡うん、そうね、まぁ、確かに美味しいね⎦
悔しいけど、ひょっとしたら、今まで探し歩いた豆腐屋の中で、一番凄いかも。
野菜の炊き合わせの鉢が下げられた頃。
⎡ちょっと、この酒一杯召上がってみませんか?⎦
奈良 “ 油長酒造 ” が仕込む “ 風の森 ” 、純米、無濾過、無加水の生酒。
笊籬採りと言われる蔵元独自の技で、もろみの風味そのままに絞るらしい。
果実のような香りと、甘くてスッキリした味わい深い独特の酒だとは思うけど。
こんなに個性的じゃなくても良いから、もうちょっと辛口のにして欲しい。
それと、俺、発泡酒とか駄目なんだよね。
そこで、滋賀県長浜 “ 富田酒造 ” の “ 七本槍 ” を選ぶ。
北大路魯山人が愛した近江の銘酒、辛くて切れが良く、料理との相性もとても良い。
⎡そろそろ、うちの名物をお出しいたしましょうか?⎦
⎡なに?⎦
⎡メンチカツなんですけど⎦
亭主の同級生が、香川県で養豚場を営んでいて、胡麻油の搾り粕だけを飼料として育てている。
その豚肉で、握り拳くらいの大きさのメンチカツを創るのだと言う。
堪えられない能書と、その能書を凌ぐ堪えられない旨さ。
割ると、中から澱みなく澄んだ油がジュワーっと滲み出してくる。
⎡〆は、饂飩にされます?それか、炊込み御飯になさいますか? ⎦
香川出身の亭主は、饂飩も手打ちで供する、小学生の頃から、見よう見真似で覚えたんだそうだ。
⎡どっちもと言いたいとこだけど、炊込み御飯の具は何?⎦
⎡なんでも、おっしゃってみてください⎦
⎡じゃぁ、旬なとこで、秋刀魚なんかどぉ?⎦
秋刀魚、栗、むかごを、土鍋で炊上げる。
秋刀魚は、軽く炙って、はなから入れて炊くのがコツらしい。

まぁ、聞いてもやんねぇから、聞いてないのもいっしょだけど。

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