三百八十四話 決して変わらない味

元町で旨い中華飯屋は何処か?
港街神戸の住人に尋ねるとかなりのひとがこの名を告げると思う。
“ 神戸元町 別館牡丹園 ”
高校生の頃からそうだったので、もう四◯年、いやおそらくはもっと昔からの評判だったのだろう。
久しぶりに行くと、相変わらずあの注意書きが掲げられている。
“ 本館牡丹園と当店とは一切関係がございません。何卒お間違えのないようお願い申し上げます。”
もう何年も前から、店前の目立つところにそうやってあるのだ。
いきなりお願いされても、事情を知らない客にとっては謎でしかないだろう。
ずいぶんと前になるが、本館と別館の諍いについて中華街の友人に訊いてみたことがある。
昔、此処には、L字に並ぶ二棟のビルが在った。
表通りに面した方が本館、路地に面したもう一方が別館となっていたらしい。
本館と別館併せて同じ一軒の中華飯屋で、屋号は “ 牡丹園 ” だった。
その後、本館は屋号を変え “ 広東料理 廣州 ” と名乗るようになる。
ところが阪神淡路大震災の後、突然、再び屋号を変え “ 本館牡丹園 ” とした。
別館側からすると、この改名の経緯が騙りだということなのだろう。
港の街場で起こる華人同士のいざこざの真実は分からないが、珍しいことではない。
たが揉めているからといって、“ 別館牡丹園 ” が神戸を代表する名店であることに変わりはない。
陳舜臣や小津安二郎といった巨匠達も通ったという。
先代の王熾炳さんもまた、広東料理界の巨匠として知られた存在だった。
「熾」も「炳」も、火が盛ることを意味するのだそうである。
その名の通り、“ 火候 ” 日本語でいう火加減に於いては並ぶ者はいないと称されていたらしい。
子供の頃に喰って旨いと思ったものが、大人になってからはそうでもなかったりする。
しかし、“ 別館牡丹園 ” の味は、僕にとって神戸広東料理そのものである。
幼かった頃もオッさんになった今も、変わらずにいつまでも御馳走なのだ。
王熾炳さんが逝って、王泰康さんが代を継がれても、味はいささかも揺るがない。
泰康さんは他所で修行された経験はなく、“ 別館牡丹園 ” の厨房をゆりかごに育った料理人である。
そして、おそらく三代目となられる王文良さんも同じ道をいく。
決して変わらない味を戴く。
いつもこれだけは必ず注文する “ 五目焼きソバ ” は外せない。

今日は硬麺にする。
気取らず、飽きさせず、一歩引いたような味なのだが。
広東料理に通じたひとに言わせると、そこに美味求真の精髄が込められているのだそうである。
神戸の中華飯屋には裏メニューを備えているところが多い。
“ 別館牡丹園 ” にも、鶏足の煮物とかミル貝と白葱の炒め物とかいう表には出さない料理が存在する。
また、 裏だった料理が表としてメニューに載ったものもある。
牡蠣のお好み焼きなどがその類で、これがまた絶品なのだ。
但し、冬にならないと喰えないけど。
王熾炳さんの親友でもあり “ 別館牡丹園 ” の常連でもあった作家陳舜臣はこう書き遺している。

愛嬌のある料理人の料理は美味しく、苦虫を噛み潰したような偏屈料理人のそれは不味い。
わが友、王熾炳さんの円満そのものといった笑顔をみただけで、
彼の創るものがどんなに素晴らしいかがわかるだろう。

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