五百六十話 おんな蕎麦打職人

この港街に、これといった不満はないけれど。
ただひとつあるとしたら、旨い蕎麦屋が少ないということかもしれない。
数年前、立喰蕎麦でもなんでもとにかく蕎麦が食いたくなって、暖簾をくぐった。
開店して間もない様子で、およそ旨い蕎麦を食わせるような外観でもない店屋。
手打ちと揚げられているが、なんの期待もせずにいた。
客の姿はなく、Café 風の店内には、愛想のなさそうな店主がひとり。
おんなだ!
おんなの蕎麦打職人?
田舎の産地では、縁側で婆婆が蕎麦を打つ姿は普通に見かける。
なので、おんなだからどうだという話ではない。
問題は、蕎麦という食物とこのおねえちゃんの印象があまりにもかけ離れている。
綺麗な顔立ちで、すらっと背が高く、しっくりくるとしたら高級 boutique あたりだろう。
正直なところ、これはしくじったと思った。
「天麩羅蕎麦ください」
「はい」
愛想がないというか、素っ気無いクールな応対は、見た目どおりだ。
しばらくして、台に注文した蕎麦が置かれた。
若い時分から全国の産地で蕎麦を食べ歩いてきたので、良い蕎麦か否かは見ればおおよそ分かる。
色は、更科ほど白くなく薄らとした灰色で、切りは細く角が立ち、程よくシメられている。
なんだこれ!めちゃくちゃ旨そうだわ!
塩を振って口に運ぶ。
言葉で表すのがなかなかに難しい。
更科の洗練された粋と蕎麦産地の土臭い風味が絶妙な塩梅で合わさったような不思議な蕎麦だ。
旨い!
「これなに?おいしいわぁ!」
「ありがとうございます」
「九・一なんですけど」
蕎麦粉九割・割粉1割の九一蕎麦らしい。
「また難しいことを、あんた何者?」
「堂賀の亡くなった先代が師匠で、此処で始めることにしました」
伺ったことはないが、名店 “ 堂賀 ” の名はもちろん知っている。
凛とした口調で不要なことを言わない。
この蕎麦も同じだ。
余計な無駄をせず、正確で丁寧で簡素で旨い。
後日知ったことだが、店主の東野朋江さんは福井で産まれ育ったと聞いた。
ちいさい頃から越前蕎麦に慣れ親しんできたのだそうだ。
僕の変態的蕎麦好きも福井から始まった。
機屋の社長に連れられて行った一軒の蕎麦屋。
長屋で老夫婦が営む蕎麦屋で、前日に電話をしておくと婆さんが蕎麦を打って待っていてくれる。
おろした大根をのせて出汁をかけて食うという越前蕎麦で、その味は今でも忘れられない。
食いものには、出自が関わるものだと思っている。
東野朋江さんの打つ蕎麦には、どこか産地の素朴さが漂う。
粋な九一蕎麦に土の匂いが漂う稀有な一皿だと思った。
そんな東野朋江さんが営む  “ 堂源 ” も、今では紛れもない名店として知られるようになっている。
年の暮れに、“ 堂源 ” で一盛りの蕎麦を。

散々な一年だったけど、これで幾分良い年が越せそうだわ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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