三百八十九話 猫にお道具

はぁ〜、どうしよう?
十世 三輪休雪、十一世 坂高麗左衛門、吉賀大眉などの面々。
昭和を代表する萩焼の名陶の方々である。
人間国宝や文化功労者として称された陶芸家が遺した名器が、こうしてあるのだが。
至極残念なことに、僕は茶の湯を嗜まない。
煎茶すら飲まない始末だ。
こんなことなら習っておけば良かったと悔いる気持ちもあるが、もう遅い。
そういや小学生の頃、親父に連れられて萩の窯元を巡ったことがあった。
巡る道中、あれこれ聞かされたのを薄っすらとではあるが憶えている。
“ 萩の七化け ” という表現がある。
萩焼の魅力は、焼きしまっていないやわらかな肌触りや素朴な素地にあるとされている。
表面の釉薬が割れることを貫入と言うのだが、その貫入がもとで長年使い込むと茶渋が浸み込む。
茶渋の浸透によって器表面の色合いが変化し枯れた味わいになるというのだ。
どうなのかは知らないが、七化けというのだから七段階くらいの変容があるものなのかもしれない

親父は、ひとつの茶碗を好んでそればかりを使っていた。
箱書きの無い茶碗で、三輪休雪先生から直に譲られたものだったと聞く。
そんなだから、ここにあるものは使われた跡がない。
だったら、そのひとつの茶碗だけで用は足りようものなのだが。
そうもいかないのが道楽者というか数寄者の性なのだろう。
それにしても、厄介なものばかりを遺してくれる親父である。
こういった道具を、使わずにただ眺めて楽しむという趣味はない。
茶会で披露しようにも肝心の亭主が茶を点てられないのでははなしにもならない。
だとすると、所蔵する意味もないし資格もない。
使ってこその茶器だろうし、使ってこそ味わえる七化けなんだろうし。
やはり、茶の湯を嗜む然るべき方の手元へというのが筋なのだと思う。
今の時代、そんな数奇者どこにいるんだろう?
とにかく探さないと。

あぁ、いちいち面倒臭ぇ〜。

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