百二十話 マンナのおんな

横浜に住む美人で聡明で………………………….。
もういいか。
とにかく学生時代の友人が由比ケ浜まで会いに来てくれた。
でもたいした人ですよ。
嫁いで多忙のご主人を支えて娘ふたりを名門校に通わせて一流企業に就かせる。
もちろんご家族皆それぞれの頑張りがあるんだろうけれど。
彼女がしっかりしていなければこうは巧く運ばない。
だからやっぱり立派なんだね。
⎡わたしの人生、あんたが簡単に解説するんじゃないよ⎦とか言われそうだけど一応言っとく。
この人が腹が減ったと言いだしたので約束の時間を早めて飯屋に向かう。
由比ケ浜駅の北側ほど近く住宅街の一軒屋を店としている。
まことに判りにくく地元の人でも⎡探したけど何処に在るの?⎦と言われるらしい。
ギリシャ語で“糧”を意味するらしいが ⎡ MANNA ⎦ という屋号の伊料理屋である。
この飯屋の話をすると、⎡あぁ、あの Nadia の………⎦とか⎡えっ、伝説の Nadia の……⎦とか言われる。
⎡ Nadiaって何 ?⎦
これは聞いた話だが、以前長谷に Nadia という伊料理屋が在ったらしい。
そこに独学で料理を身につけたというシェフがいて、独創に富んだ皿を振る舞い評判だったという。
ところが予約もままならない繁盛店は突然閉められ、凄腕シェフはどこかにいなくなってしまった。
地元の飯好きの間ではちょっとした話題になっていた。
その Nadia のシェフが場所を変えて名も変えて最近始めたのが MANNA という訳だ。
まぁ、よくある話で⎡伝説の………⎦というほどの話でもない。
半間ほどの木製ドアを開けて中に入る。
天井が高く白でまとめられた簡素な店内、普段使いの食堂的なほっこりとした雰囲気が良い。
卓に着くと厨房までの全てを見渡せる。
開かれた厨房にはちっちゃな女の子が構えている。
傍らには給仕担当なのかこれまたちっちゃな女の子がなにやらしている。
席は満席でカウンターにも小うるさそうなオヤジが糞高そうなワインを前に陣どっている。
⎡まさかこの子達ふたりでこの客全てを捌くつもりなのか?⎦
メニューを持って給仕担当らしき女の子がやって来た。
⎡どうぞ⎦と言われて渡されたリストに目を落とす。
⎡よしなさいよ、無茶が過ぎるよ、無理だよ、何考えてんのこの子達は⎦
前菜・パスタ・主菜あらゆる食材で、それぞれに十を軽く越える品数で載せてある。
挙句に食後のデザートも五種類ほど。
このリストを盾に満席の客が口々に注文したらどんな始末になるのか判ってんのかなぁ。
あ〜あ、見渡すと周りはすでに好き勝手に注文してるよ。
注文が給仕のちっちゃな女の子から厨房のちっちゃな女の子に伝わる。
ちっちゃな女の子の顔が突然シェフの顔つきに変わる。
調理場辺りのほっこりした雰囲気は消し飛び戦場の体をなす。
なんだぁ、この店屋。
可愛い女の子が突如達人に変身って、香港のカンフー映画じゃないんだから。
ふたりとも恐ろしい手際で振る舞う。
パスタの茹で加減、料理の塩加減、途中での味見は一切無し、一気呵成に整える。
厨房にはちっちゃな女の子たったひとり、孤高の独演である。
⎡いったいこの子何者なんだろう?⎦
鎌倉野菜グリル、豚・無花果のリエット、乱切りパスタ、茄子・トマト・モッツァレラのパスタ。
主菜は、金目鯛の蒸焼きと牛肉のブロックステーキ。
〆に、カッサータ、苺のワインゼリー添え、サバラン。
このちっちゃな女の子、いや原優子という方の料理は見事です。
これが⎡伝説の………⎦と噂される由縁だとすると納得もいく。
MANNA の料理はかつての Nadia の料理とともに独創的と評されているらしいが。
伊料理には定型というものがない。
そもそもに伊料理なんてものは存在しないのではないかとさえ思っている。
南北に長く郷土への帰属意識の強い土地柄で、多種多様の料理が存在し混ざり合わず頑に今もある。
多くの村落でそれぞれに伝わる郷土料理をひとつの概念でまとめて語ることは出来ない。
オリーブ・オイルを使わない地方もあるくらいだから。
唯一共通する概念があるとすれば地物をよく知り簡潔に創り素朴に味わうということかもしれない。
だから、この点において MANNA の料理は独創的というより伊料理の真髄をついているといえる。
この食材にはこの手法というように的の中心を射抜く。
塩を恐る恐る加減した玄人料理ほど情けないものはない、MANNA は塩梅も大胆である。
キャリアを積むと技ばかりが身について、素材をこねくりまわすようになる。
知識と共に慎重さも身について、肝心なとこで腰が引ける。
結果、半端でロクでもないものに仕上がる。
いやぁ〜、勉強になります。
なんせ勉強が足りないもんだから、翌日の晩も無理な予約を受けて貰って MANNA を訪れた。
前日以上の満席、カウンターも全て埋まっていて原シェフは戦場の只中にいた。
鶏の内蔵ソースで和えたショートパスタ絶品でしたよ。
おんなは凄い。
カーラ・ライフ婆さん、三倉秀子女将、夏目雅子さん、原優子シェフ、そして横浜の友人。
おとこはいらない、オヤジはもっといらない。
おとこは御託ばっかり並べ立て話がちっとも前に進まない。
はなからおんなに任せておれば、この国もちょっとはましな姿になってたんじゃないかなぁ。
今からでも遅くはない、おとこは邪魔にならぬようどこかでひっそりと生きていこう。
MANNA は昼時も営業していると聞く。
おふたりとも身体にだけは気をつけてあまり無茶をせずにね。

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