百四十八話 枯葉

今年の紅葉は綺麗だと聞く。
京都など名所といわれる処では交通規制も始まっているらしいが。
僕はこの色づいた葉っぱを見るとゾッとする。
海辺の家には姥桜や藤が居る。
どれも姥と呼ばれるほどに古く大きく沢山の葉を茂らせている。
ハラハラと舞うという生易しい風情ではなくドサッと落ちてくる。
放っておけば肥になるとかと屁理屈をこねていると酷い事になってしまう。
そこへ雨のひとつも降った日にはさらに無惨な姿になる。
稼業を終えた亭主と同様 “ 濡れ落葉 ” ほど始末に悪いものはない。
こいつの始末を一度でも経験すると、
“ 濡れ落葉 ” に喩えられるような身の上になってはいけないと自戒するに違いない。
湿気を含んでもの言わず褪せた色合いでベッタリとへばりついて容易には離れない。
まことにいただけない代物である。
これこそが世の既婚オバチャンが恐れてやまないある日突然訪れる天敵の正体であろう。
オバチャンは紅葉を愛でる時我身の隣にいる “ 濡れ落葉 ” を想像しないのだろうか?
こうやって書いていると後から嫁が覗き込んでいた。
⎡ハァ〜⎦
⎡なに溜め息ついてんだよ?⎦
⎡どうでも良いけど⎦
⎡あんたはどうなんだっていう話よねぇ⎦
⎡俺はこうはなんねぇよ⎦
⎡信じろよ⎦
⎡マジで気をつけてよね⎦
⎡目と鼻の先なんだからぁ⎦
なんとなく切ない雰囲気になってきたんで話を変えよう。
僕はそうじゃないけど多くの人は紅葉や枯れ葉というとセンチメンタルな気分になるらしい。
一九四五年 “ Les Feuilles mortes ” 邦題 “ 枯れ葉 ” という曲が仏で創られた。
これほどあらゆるジャンルの著名なアーティストにプレイされた曲も少ない。
Yves Montant に始まって Jullette Gréco , Serge Gainsbourg
一九四九年米国に渡って “ Autumn Leaves ” と名を変えてからも。
Bing Crosby , Nat King Cole , Flank Sinatra
一九五二年 名サックス・プレーヤー Stan Getz を皮切りにジャズの世界でも注目される。
Bill Evans , Chic Corea , 原曲からはかなり離れるけれど Sarah Vaughan もスキャットしている。
僕は Sam Taylor の重いテナー・サックスの響きが好みだけど。
先日在京 FM ラジオ局の “ Sold Out ” という番組にまた呼んでいただいた。
何処の誰かわかんない素人の喋りに付合わされたリスナーの方達にはお詫びのしようもないが。
やってるこっちは結構楽しめた。
番組で名盤から一曲の歌がかけられる。
“ Autumn Leaves ” 歌うは Mickey Curtis
収録スタジオの窓が運河に沈む夕日で柿色に染まる中 Mickey さんの歌声が流れる。
気分はセンチメンタル。
映画 “ ロボジー ” をヒットさせられ、人生で数えきれないほどの絶頂期にまたさしかかっておられる。
七十歳を越えられても Mickey Curtis は Mickey Curtis
次はもっと凄いぜぇ。
“ 濡れ落葉 ” なんぞとは生涯無縁の選ばれし“ The Entertainer ”
この歳になると Mickey さんのような方がほんとうに眩しく見える。
今週お会い出来ると良いなぁ。

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