三百四十八話 塀 

この街には、海にまつわる稼業に就ているひとが多く暮らしている。
ご近所を見渡しても。
海運会社の経営者や外国航路の船長だったり、元そうだったという方々が多いように思う。
義父もそのひとりだった。
坂を下って、駅を過ぎ、国道を渡ると。
網元や漁師達が、職場である海と向き合って暮らしている。
此処の漁場が恵まれているのは、漁港に居並ぶ船を眺めれば分かる。
錆びついたような船はなく、どの船もピカピカに磨かれていて。
羽振りの良さが窺える。
都会から数駅西に向かっただけで、ひとの暮らしぶりは大きく変わっていく。
船乗りにしても、漁師にしても、海を糧に生きてきたひとは、なんとなく大らかである。
なにかにつけ外向きで、内に籠らない。
この街で産まれて暮らしてきた嫁は気付かなかったらしいが。
「なぁ、ここらの家の塀って妙に低くない?」
「そうかなぁ、でも明るくって良いじゃん」
「いや、そういう問題じゃなくて、道から隣の婆さん飯喰ってんのが見えるんだけど」
「ふ〜ん、で、なんか美味そうなもの喰ってたぁ?」
「いや、そういう話でもないし、そこまで見る気もないんだけど」
「結構でかい館なんだから、もうちょっと高い囲いにすりゃぁ良いと思うんだけどなぁ」
「なんで?見えてた方が用心も良いじゃん」
この塀の有り様は、自宅が在る北摂とでは明らかに異っている。
勝ち誇ったように立派で高い塀を巡らせている御宅が建ち並ぶ。
まるで家主の成功を物語るみたいに構えられていて、一片の暮らしぶりも外からは知れない。
家屋を塀で囲むといった構造は、武家の発想であり、外からの侵入に備えるとともに、
権威の象徴でもあったと聞く。
だとすると、低く構えられた塀はどうなんだろう?
権威にも頓着しないし、外部からの侵入や視線にも鷹揚な家主が居るということなのかもしれない。
それを大らかと言って良いのかどうかはわからないけれど。
この港街を好んで棲み着いた義父は、典型的な駿河人だった。
私事では何事にも大雑把で細かい事にこだわらない、金銭にも頓着しない、なにより人が良かった。
元々あたまが良く、就いた職も良かったお陰で出世は果たしたが。
絶対に商売人には向かないひとで、周りからもそれだけはやってはならないと言われていた。
他人に奢るのが好きで、自らも大酒を喰らい、
元町では飽き足らず、家に連れ帰ってはまた飲むというのが常だった。
ある年の正月、そんな義父が、唐突に言った言葉がある。
「君、此処に住めよ」
それが、義父と交わした最後のまともな会話だったような気がする。
その時は、家族皆んながそんな馬鹿な事をと思ったものだが。
十三年経った同じ正月にこうして漁港を眺めていると。

義父が惜しいと思って、譲りたいと思ったものが、何であったのかがわかるような気がする。

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