二百七十三話 画家の女房がやってくる。

三月だというのに寒風が吹くなか、“海辺の家” に、画家の女房がやってくる。
画家の名は、吉田カツ。
その作品を目にしたことのない日本人は、おそらくいないだろう。
この世を去った後も、作品は、国内外で暮らす人々の眼前に在って、少しも褪せることはない。
業界では、厳しいと畏れられた作家だったが、不思議と僕には優しくて、良くしてもらった。
仕事上の恩義はもちろん、それ以上の想いもあったのだが、返せぬままとなる。
そして、画家を生涯支え続け、夫に絵筆以外なにも持たせなかった女房が、ひとり残された。
今は、東京を離れ、カツさんの生家だった丹波の家で暮しておられる。
駅から、今着いたと連絡が入り、迎えに行くと、一目でわかった。
黄色のスェード・ライダース・ジャケットに、ツィード生地のバルマカン・コートを羽織って。
ボトムには、裾をブッタ切ったジャガ―ド織りのワイド・パンツを合わせている。
細い鼈甲フレームのサングラスをかけて、リュックサックを背負った姿は、
到底この港街で、普段見かけることはない。
長年仕事場としていた渋谷界隈でも目立つくらいだから、まぁ、しょうがないか。
「何背負ってんですか?」
「リュックだよ」
「いや、そうじゃなくて、何が入ってんですか?」
「味噌だよ、味噌、土産だよ」
その格好で、手土産に味噌? 僕は、このひとのこういった見かけとの落差が、昔から好きだ。
伝えたいことがあれば、電話やメールなどで済まそうとはしない、必ず手紙をしたためる。
常は、手漉きの葉書で、用件が重要であれば、石州和紙の巻紙に、書家を越える筆捌きで記す。
パンクな外見からは想像もつかない古風な見識と美意識を身に宿している。
海辺に在るこのボロ屋に、泊まりがけで招待したのには理由がある。
このボロ屋の先々を、どうするかを相談したかった。
改築か?新築か?そういうことも含めて。
このひとには、不思議な一面があって、棲家を妙な具合に仕立直す才というか、癖がある。
インテリア・デザイナーとかいう胡散臭い連中の何んとか風でもなく。
ハウス・メーカーが勧める、家族団欒で、幸せに暮らせる家的な嘘八百でもなく。
建築家が、自分の勘違いを個性と称して、施主に押付ける間違いだらけの家でもない。
独自の感性が創りだす空間は、部材個々には脈絡がなく、雑然としている。
今の住居は、“海辺の家” 同様に築六〇年を越えていて、外観はボロい。
しかし、内部は改築され、当代随一の名左官職人による本漆喰壁で、白く覆われていて。
土間などは、夏場の居間として、そのまま手つかずに取込んでいる。
暮らしぶりが、そのままに透けて見える気取りの無さと、暖かみのある品の良さが漂う。
とても、居心地が良い。
そんな画家の女房が、“海辺の家” を見た。
「ねっ、言ったとおりボロいでしょ?」
「うん、まぁ、ボロいな」
「オマエが、何を迷ってるか当ててやろうか?」
「新築にせよ、改築にせよ、デザインを持込んで、この空気感が変るのを恐れてんだろ?」
「だから、なにもデザインしない、普通で、あたりまえの空間を望んでるんじゃないの?」
「だったら無理だよ、なにもデザインしないっていうのが、すでにデザインなんだから」
「お互い長く業界にいて、もうデザインを棲家にまで置きたくないって、気持ちはわかるけどなぁ」
デザインをしない事が、デザイン。
禅問答のようだが、痛いほどによくわかる。
ただ、一瞬にして、こちらの腹を読んだ画家の女房は、やはり只者ではない。
「じゃぁ、どうしよう? 」
「ちょっと難しいけど、その時は、手貸してやるよ」
街も、棲家も、壊せば、もう元には戻らない。
踏切の看板ひとつでも、風情は大きく変わる。

英国人居留地だった頃、山陽電車の踏切はこんなだった。

 

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