六百二十五話 竹の花

昔、無類の筍好きだった親父によく連れて来られた料理屋が、京都長岡京にある。
明治期創業の老舗で、長岡天満宮の杜に囲まれるように数寄屋造りの座敷が並ぶ。

此処 “ 錦水亭 ” の名物は、隣接する広大な竹林から掘りだされる朝堀の筍を使った筍料理。
これを目当てに、春になると親父は毎週のように通っていた。
親父はもうとっくにおらんけど、代わりに腰痛の友達を無理矢理誘って久しぶりに足を向けてみる。
八条ヶ池を眺めながら、会席仕立ての皿が供されるという趣向は当時もそうだったように想う。
会席仕立ての都合上、一〇種くらいの料理が続くのだが、正直食べたいのは二皿だけ。
直径一五センチ程の輪切にした筍を出汁で煮た “ じきたけ ”
朝堀の筍を皮付で焼いた “ 焼 竹 ”
この二品は、ほんとうに絶品。
あとは、筍飯でおにぎりを握ってもらえればそれで充分なんだが、商い上そうはならないらしい。
それでもそれなりに春の旬を堪能し、天満宮へのお参りも済ませた後、竹細工の工房を覗くことに。
かつて大阪万博の頃、筍懐石料亭 “ 錦水亭 ” は宿屋も営んでいたが、今は廃業している。
そして、跡として残された建屋には、“ 高野竹工 ” が、嵯峨野に在った工房を移して構えた。
竹細工技能集団として良質の竹の産地を求めてのことだったらしい。
斯くして、広大な竹林の整備・伐採は、“ 高野竹工 ” の職人達の手に委ねられる。
丁寧に油抜きし、数年寝かし乾燥させた竹から製作される作品群は見事だ。
野点の道具箱、茶筅、茶筒、茶杓などの茶道具から竹筆までさまざまにある。
さまざまにあるんだけど、親父の道具収集癖の後始末で懲りているので、竹箸を求めるに留めた。

職人の方に、いろいろとご案内いただいて、竹林を眺めながらお茶をいただく。
途中、煙草を吸って戻ってくる際、意外なひとに声をかけられる。
「こんにちわ、もしよろしかったら一本お持ちになりませんか?」
手に竹の枝を数本束ねて、そう尋ねられた。
「はぁ? これってなにか特別な竹なんですか?」
「竹の花を乾燥させたもので、生けるのはひと枝なんで、よければどうぞ」
「生ける?これを?僕が?」
不思議な申し出にちょっと困っていると、側にいた職人の方が助けてくれた。
「こちら、待庵のご住職でいらっしゃいます」
「えぇ、わたし、妙喜庵(待庵の在る臨済宗寺院)で住職を務めております」
「こっ、これは、失礼いたしました、ありがたいご縁で恐縮です」
待庵といえば、如庵、蜜庵とともに国宝三茶室であり利休作と伝えられている。
侘び寂びの境地では、こんなの生けるんだぁ。

「竹の花って、一二〇年に一度一斉に咲いて、その後咲いた竹林は枯れると言いますけど」
「一二〇年とは、滅多に起こらない事の喩えでしょうけど、黒竹が枯れるというのはそうです」
吉事凶事のほどはさておき、取り敢えず家に持ち帰って生けてみた。
生けるといっても、親父が遺した鉄製竹籠花器にぶっ込んだだけだけど。
なんだぁ?これ?

侘びも、寂びも、俗者にはようわからん境地だわ。
 

 

 

 

 

 

 

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