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四百四十話 The House

今年も海辺の家に桜が咲く。 年々、枝を広げて今では家を覆うまでになった姥桜。 一八の頃出逢って、この姥桜の艶姿を眺めるのもこれで三八年目かぁ。 手間のかかる婆婆だが、こうして見上げるとなかなかに贅沢な気分になる。 そして、桜は、鳥を呼び、ひとも呼ぶ。 桜に誘われて、この古家を訪れてくれたひと達は。 飯を喰い、酒を飲み、寝て、起きて、また桜を眺める。 まぁ、たいして眺めていない者もいるが、それはそれで良い。 賑やかに楽しめればそれで良い。 今日で宴も四日目だが。 なかには、二〇代のおとこも二人ほどいて朝から晩までごろごろしている。 親子ほど歳の離れたのが、なんの気兼ねもなく過ごしているのも不思議な景色だ。 おっさんとおばちゃんが棲む古家のなにを気に入っているのだろう? 訊くと、なんとなくこの古家が良いのだそうだ。 家にも性というものがあって、ひとに愛される家というものは確かにあるのだと思う。 また、どんなに豪邸であっても、その逆であっても、居心地の良くない家というのもある。 このなんの贅も尽くしていないただの古家のなにが良いのか? 僕自身にもよくわからない。 よくわからないが、ここに居ると妙に穏やかな心持ちになれる。 まだこの古家が、こんなに古家でなかった一〇代の時分からそれは変わらない。 二年前、夫婦で話合ってこの古家を残そうと決めたのもそういった理由からだった。 ただ、残すのは残すにしても。 さすがに震災で傷ついた上にここまで古い家では、修繕改築は免れないだろう。 新しく建てなおすのは造作もないのだが、それで家が宿した空気感が失われては元も子もない。 そう考えてると、再建の踏ん切りがなかなかつかない。 嫁の要望は簡潔だ。 「この感じのままで、丈夫な家にして頂戴」 「ぴかぴかで、白々しいのは絶対嫌!」 「あんた、そういうの得意じゃん」 だから、それが難しいんだろうがよぉ!

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四百四話 御庭番

一七世紀頃、御庭番衆と呼ばれる者達がいたらしい。 江戸城本丸の庭を番するという名目で、市中の情報収集や雑事を引受けていた。 間者とか忍者とかと後世に伝えられているが、そこまでの裏組織ではなく。 意外と陽の当たる職で、職位も高かったようである。 その江戸城から比べると蟻の巣にも満たないこの海辺の家なのだが。 御庭番らしき者が出入りしている。 八◯歳を超える老庭師で、若い衆を連れて季節毎にやって来る。 家人が留守だと勝手に入って仕事を済ませ戸締りをして帰ることもある。 庭師だからといって庭仕事だけを担っているわけではない。 屋根の修理、扉の不具合、配管の詰まりから空調器の故障まで。 義母は、内も外も家に関わるすべてを頼って暮らしていた。 夜中の頼み事にも朝を待たずに駆けつけてくれたと聞く。 そうした関わりは、歳月にして六◯年を超える。 だから、義母が逝ったと伝えた時の落胆ぶりにはかける言葉さえなかった。 先日、海辺の家に帰ると勝手口の前で老庭師が胡座をかいている。 弟子の剪定具合を眺めているみたいなので声をかけた。 「久しぶり」 小さく頷いただけで返事はない。 相変わらず愛想の欠片も持合せていない爺さんである。 「相談したいことがあったからちょうど良かった」 「なに?」 「この家を解体して昔のままに再建築したいんだけど」 「えっ?」 「だから、当時の部材を当時のやり方で組み直したいわけよ」 「漆喰壁から柱まで徹底的に修繕して、庭もそのままに残す」 「床材やら天板など追加する建材は今から集めるけど、要は大工職人を集められるかどうか?」 「ほんまに?ほんなら、この家を残すのんか? 」 「かえでちゃんも、戻ってくるんか?」 庭師は、嫁のことを今でもかえでちゃんと呼ぶ。 「まぁ、そうなるだろうけど 」 「そんなもん出来るに決まってるやん!一緒にやったらえぇ!ずっとそなしてやってきたんや!」 それから一時間、勝手口の前で老庭師の講釈を聞く羽目になる。 あそこの工務店は代が変わったけど、昔ながらの工法で腕は落ちていないとか。 左官仕事は積むならあいつで、塗るなら別の奴が良いとか。 自分になら出来るけど、石積みは今では難しくもうこの辺りにはふたりしか職人はいないとか。 気難しく無口だという評判 からほど遠い始末だ。 ただ恐ろしく事情に通じていて。 … 続きを読む

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三百九十二話 ひぐらしの鳴く宵に

台風が去った七月の暑い日に。 通りすがりの店屋で風鈴なるものを見つけた。 軒を見上げると、鉄や陶器や硝子などいろんな風鈴が吊るされていて。 それらが一斉にチリチリと奏でるものだから、どれがどんな音色なのかさっぱり分からない。 いちいち耳を寄せて聞くのも面倒なので、昔懐かしい吹き硝子の風鈴を指差す。 “ ビードロ風鈴 ” とか呼ばれていたような憶えがある。 「すいません、これ売りもんじゃないんですよ」 「はぁ?なんで?」 「それが、古い売残りの品なんで納める箱もなくて 」 「べつに箱が鳴るわけじゃないんだし、なんかで包んでくれりゃぁそれで構わないよ」 新聞紙に包まれた風鈴をぶらさげて海辺の家へ。 晩のうちに縁側の天井から吊るす。 翌日は、早朝から台風の始末に追われていた。 大雨で膨らんだ雨戸を乾かし、窓という窓を開け放って部屋に溜まった湿気を抜く。 そうしてる間に散らかり放題の庭を元に戻さなければならない。 昼飯を掻き込む暇もなく立ち働いて、気がつけば日暮れ時。 途中、昨晩吊るした風鈴のことなどすっかり忘れていた。 風がまったく止んでいたわけではないので多分鳴りはしていたのだろう。 ただ、気づかなかっただけだ。 風呂で汗を流し、阿波しじら織りの甚平に着替えて縁側で一息つく。 ぼんやりと涼んでいると。 ひぐらしの声が遠くに聴こえる。 宵風が頬を撫でて過ぎ。 その微かな風に誘われて風鈴が揺れて鳴く。 ひぐらしの「カナカナカナカナ 」風鈴の「チリチリチリチリ」物悲しくもあり懐かしくもある。 夕暮れに降った小雨は、庭の緑をさらに濃く深く染め。 紫陽花の葉から雫が濡らして落ちる。 坂を下った先にある海はようやく荒れがおさまり静かで、ほんのりとした蜜柑色に染まっていく。 悪くない風情だ。 旅先での大仰な情緒ではない、普段の暮らしの内にあるあたりまえの情緒がここにある。 他人に自慢するほどの贅沢でもないが、見過ごしてしまうにはちょっと惜しい。 夏には暑いと嘆き、冬には寒いと愚痴ってばかりではつまらない。 これまでのバタバタとした貧乏臭い暮らし振りも考えものである。 ひぐらしは、過ぎゆく夏を惜しんで晩夏に鳴くものだとずっと思っていた。 だけどこうして聴いているのだから、存外早くに初夏から鳴く蝉らしい。 … 続きを読む

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三百七十話 零れ桜

“ 零れ桜 ” 海辺の家に咲く桜です。 姥の一本桜で、咲いては散り、散っては咲きを半世紀に渡って繰り返してきました。 庭では、齢一◯◯年を超える山桃に次ぐ年寄りなのだが。 その艶姿は、こうして健在である。 喪中であった昨年は、嫁とふたりで寂しく団子を食って眺めただけだった。 それだけに、喪が明けたこの春には花筵を敷いて縁のあるひと達を呼びたい。 そう想っていた。 そう想ってはいたけれど、夫婦で仕事を抱えている身でたいしたもてなしができるわけもなく。 BBQ とチーズ・フォンデューで我慢してもらうことにする。 親戚や友人がやって来てくれた。 遠方からだったり、勤めを昼から切り上げてだったり、無理の利かない年齢だったり。 儘ならない事情をやりくりしなければならないひともいる。 それでも。 二◯歳から八五歳までのひとが集い昼酒を飲み肉を喰ってそれぞれが気儘に楽しんでいる。 肝心の桜を見上げているひとは少なかったけど。 まぁ、花見の宴なんていうものはそんな感じで良いのだろう。 家主が壮健だった頃、この家には大勢のひとが訪れ賑わった。 そんなひと頃に戻ったように、ボロ屋も華やいでいる。 この古屋には、ひとが羨むようなものはなにもない。 そこがまた良いのだと思う。 こんな桜があるじゃないか!と言うひともいるかもしれないが。 この姥桜の世話を一年でも焼けば、大抵の者は根を上げるに違いない。 此処は、気兼ねなく訪れて、気兼ねなく過ごせて、それが当たり前だと思わせる家である。 昔、ひとかどの方が、廊下で呑んだくれていたくらいだから。 ひとも家も出来ればそんな風でありたいと思っている。 この歳になると、他人に同情されるのも、逆に羨まれたりするのも面倒だ。 くだらない見栄も若い頃なら張り甲斐もあるが、歳を喰えば切なくなる。 気さえ合えば、誰とでも構えることなく隔たりなく付き合いたい。 義理の父母もそんな想いで、この古屋を遺してくれたんだろう。 だから継ぐ者は、この家が纏う開け放たれた気風を閉ざしてはならないのだと思っている。 この零れゆく桜も、婆になっても頑張ってくれているのだから。 帰りがけに言ったひとがいる。 「 次は、藤が咲く頃にまた来るわぁ」 マジかぁ? 待ってます。

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三百三十話 Fuckin Dead Leaves!

十二月一日の月曜日、海辺の家に居た。 この一年の間、月曜日はだいたい此処で過ごしている。 朝早くに起きて、先に庭へと出た嫁がニヤニヤしていて。 「おはよう、そしてご愁傷様でございます」 「えっ? なんかあった?」 「庭がね、枯葉でね、埋まっててね、そんでもってね、雨が降ってね、濡れてますの」 「本日は、あまりご無理なさいませんようにって言ってあげたいけど、こりゃぁ大変だわ」 恐る恐る庭に出てみた。 Jesus Christ ! Fuckin dead leaves ! 庭には、桜、梅、藤、楓、紫陽花といった連中がいて。 どれも古くて、どれも大きくて、落とす枯葉の量も半端ない。 毎年の例で言うと、リッター換算で九〇〇ℓから一〇〇〇ℓ位の量となる。 大型の塵袋に、パンパンになるまで詰込んで十二袋以上収集しなくてはならない計算だ。 それでも庭の一部で、全体をくまなくやればその倍はあるだろう。 そして、濡れた枯葉ほど始末に悪いものはない。 電動バキュームどころか、場所によっては熊手すら、濡れてへばりついた枯葉には役に立たない。 道具は、自分の手だけとなる。 乾くまで放っておけば良さそうなものだが、週に一度となるとそうもいかない。 一週間このままで置くと、溝という溝は詰まり排水不全に陥る。 また風でも吹けば、ご近所に迷惑の種を撒き散らすことにもなってしまう。 なので、今日やるしかない。 俯いて、集めては袋へという作業を黙々と繰返す。 これは、もはや作業というより修行に近い。 そうしていると、頭の上にハラハラと何かが落ちてくる。 枯葉だ、紅く染まった桜の落葉だ。 嫌な予感がして上を見上げる。 桜の枝には、もういくらも葉は残っていない。 いったい何処から? Oh My God !!!!! 庭には、松や、柘や、ヒマラヤ杉や、山桃といった葉を落とさない良い子の常緑樹達もいる。 … 続きを読む

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三百五話 TYPHOON !!

八月四日に施餓鬼会、八月七日に初盆法要と一五日まで続いていく。 遠くから御参りに来てくれるひともいる。 せっかくなので泊まってもらって、ゆっくり飯でも食いながら話もしたい。 そのために古館の片付けを急いだようなもんだから。 まぁ、楽しいんだけど、仕事も休むわけにはいかないので、きついっちゃぁきつい。 そんな盆中日の一〇日、翌日の月曜日は、店も定休日。 この日は、御参りに来るひともなく、ちょっとゆっくり過ごせそうだと思っていた。 ところがぁ、まさかの TYHOON !! 強い台風十一号が、四国から瀬戸内海を渡って姫路辺りに再上陸するという。 姫路って、海辺の家と目と鼻の近さじゃん。 この地で生まれ育って、台風慣れした嫁に大丈夫か?と訊いても。 「 ぜ〜んぜん大丈夫、まったくもって OK ! 」 「いつも思うんだけど、あんたのその根拠のない自信って、どっから湧いてくるの?」 真に受けると碌なことがないので、車庫の木製扉をロープで縛る。 そして、水が流れて来そうな場所に煉瓦と土嚢を積み、庭の植木鉢を非難させ出勤した。 昼頃。 「窓から見える明石大橋がこんなことになってますけど、それでも大丈夫なんでしょうか? 」 「嘘ォ〜、マジでぇ〜、全然駄目じゃん 」 「でもウチは大丈夫、奴らを飼ってるから、いつだってちゃ〜んと守ってくれるんだから」 奴らとは、古館が建つずっとずっと昔から居る山桃の大木と姥桜のことである。 仕事を終えて晩方海辺の家に戻る。 屋内は、雨漏りも浸水もなく、水を含んだ雨戸が開きにくくなっている程度で大した不具合もない。 が、一夜明けて、朝庭に出てみると。 風で千切れた枝が庭中に散らばって、 ハーブは根っこから倒され、排水溝に落葉が詰まり水溜まりになっていて、もう、滅茶滅茶。 元通りにするには、今日一日費やさなければならないかも。 実際、朝七時頃から始めて、終えたのは晩の八時過ぎだった。 そんなでも、山桃と姥桜の大木は堂々と立っていて、海側から家を守るように覆っている。 嫁の言っていたことは真実なのかもしれない。 度々の台風や、地震から、齡六〇歳を越えたこの古館を庇護してきたのだろう。 お隣さんや電気屋のオヤジが、様子を見にやって来てくれた。 「どう? … 続きを読む

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二百七十六話 東の桜 と 西の桜

二百七十五話の続きで、病に冒された男の話をさせて戴くつもりでしたが、その前にちょっと。 花見です。 と言ったところで、桜を見上げながらの酒宴というわけにはいかない。 喪が明けるまで、 後八ヵ月は、そういった事も慎まなければならないのだろう。 夕暮、嫁とふたりで、目黒川沿いを歩く。 花冷えというには、寒過ぎる。 そのせいか、人出もそう多くはない。 だが、両岸に咲誇る桜は、見事である。 川巾があまり広くないのもまた良い、左右の岸から川に被さるように咲く。 夕日に、川面が染まり、桜も染まる。 「綺麗だよねぇ〜、寒いよねぇ〜、お腹減ったよねぇ〜」 「じゃぁ、まだちょっと日が高いけど、今からでも焼鳥屋に潜り込む?」 「マジでぇ!ナイスじゃん!今でしょ!」 と、まぁ、そんな感じで、東に咲く桜を見た。 西の桜は、海辺の家に咲く姥桜だ。 東の桜を眺めながら、西の桜を想う。 この庭に根づいて半世紀、咲けば家族の誰かが見上げた、母ひとりだけの時もあっただろうけれど。 少なくとも、誰も眺めないという時は、一度としてなかった。 しかし、この春、この家に、この庭に、母は、もういない。 見ようと見まいと、勝手に咲いて、勝手に散るんだから、気にするほどのことはない。 とは言うものの、ちょっと不憫になって、嫁に訊く。 「なぁ、月曜日にでも、ちょっと帰ってやろうか?」 「うん、でも、週末に雨降るらしいし、散っちゃわないかなぁ?」 「意外と、婆の桜は、しぶといと思うよ」 海辺の家に着いて、庭に出て、見上げると、婆が待っていた。 東の桜みたく何百本も連なっているわけではない、一本どっこで海を睨んで立っている。 身贔屓もいいとこだが、近隣のどの桜よりも大きくて、立派で、艶やかだ。 年増の意地も、こうしてみると、なかなかに大したものだと感心する。 年月を重ねた木々には、家人とちょっとしたやりとりが出来る奴がいて、この姥桜もその内である。 「遅ぇんだよ! 年寄を待たせんじゃないよ!」 「根が生えてんだから、のこのことこっちから咲きに行ってやるわけにはいかねぇんだよ」 「 ところで、もうひとりの婆にも見せてやんな、せっかくこうして咲いてやってんだから」 「もうひとりの婆?」 「家の中に居るんだろ? 仏様だからって、薄暗い部屋に閉込めとくんじゃないよ!」 「なんのための庭なんだぁ!気がきかない野郎だねぇ、まったく! 」 … 続きを読む

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二百七十一話 ほんとうに怖い Mother Goose !

英国の春を象徴する花として知られるラッパ水仙。 英国人に、「あなたにとっての春の風景は?」と訊けば。 倫敦南西部の Hampton Court Palace Garden や、 挂冠詩人 William Words Worth が詠んだ湖水地方 Ullswater の Gowbarrow Park を想うのだと思う。 どちらも、水仙が群生する名所として愛されている。 行ったことはあるけど、水仙の季節ではなかったので、実際には知らない。 そんな風景とは、ほど遠くて、お見せするのもお恥ずかしいショボい奴らだが。 海辺の家にも、いろんな種類の水仙が、あちらこちらに好き勝手に生えている。 芍薬、牡丹、百合のように、古今東西、ひとは、花を美女に喩える。 ラッパ水仙も、Mother Goose の詩の一節に登場する。 Daffy-Down-Dilly is new come to town, With a yellow petti coat, and a green … 続きを読む

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二百六十一話 枝垂梅

海辺の家には、多くの樹木や草花が生きている。 そして、決まった順番に蕾が膨らんで、花を咲かせ、実をつける。 だいたいが老齢で、中にはボケてる奴もいて、正月に咲く浜木綿みたいな奴もいるけど。 ⎡テメェは、真夏の浜辺で咲く役回りだろうが!⎦ と言っても、ボケてるんだからしょうがない。 こういうのを除けば、たいたいが順序良く一年を暮らす。 南天が赤い実をつけ、クロッカスが開くと。 この枝垂梅の番である。 だが、残念な事に、植木屋のジジィが、剪定し過ぎたせいで、今年はまったく枝垂れていない。 これじゃ、誰が見ても、ただの紅梅だろう。 庭の東端、お隣との境界際を居場所として半世紀ほどになる。 お隣には、源氏物語を研究されておられる学者さんが住まわれている。 たしか、その源氏物語に、紅梅大納言とかいう登場人物がいたような。 僕の中での日本史は、応仁の乱以前の出来事が、全て闇に包まれているので定かではない。 都を追われた主人公の光源氏は、この近所で侘び住まいを送っていたとされている。 もっと昔、万葉の時代にあっては、花といえば梅を意味したと聞く。 隣人の万分の一ほどの教養が備わっておれば、梅花を眺めて雅な世界に浸れるのかもしれないが。 お馬鹿で、無教養な夫婦が住まう我家では、そういった風情は微塵も漂わない。 ⎡何探してんの?⎦ ⎡梅酒つける瓶がどっかにあったんだけど、見つかんないのよ⎦ ⎡梅、摘むのアンタの仕事だからね、ちゃんとやってよね!⎦ ⎡いやいや、今、まだ花咲かせてる最中だから、実を摘む段取りしなくてもいいじゃん⎦ ⎡梅酒だったら、焼酎の安いので良いよねぇ?⎦ ⎡聞けよ!俺のはなし!⎦ こうして、海辺の家にも、梅から桜へと華やいだ季節が巡ってくる。

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二百五十二話 夫婦とは

明日は、大晦日。 海辺の家で、これからの話をする。 ⎡ちょっと相談なんだけど、この古家と庭どうする?⎦ 新たに家主となった嫁に訊く。 ⎡所有者はあんたなんだから、俺が言う話でもないんだけど、どうも手放す気にはなれねえなぁ⎦ ⎡それは全然構わないけど、この家もうボロいよ、これから先大丈夫かなぁ?⎦ ⎡無理だろうな、建替えないと⎦ ⎡マジでぇ〜、そうなったら、家族三人で、家三軒だよ、やばくない?⎦ ⎡下手すりゃ、HOUSEKEEPER 人生だな⎦ ⎡なんで、こんな事になっちゃたんだろう?⎦ ⎡そりゃぁ、算数の問題だよ、住人が減って、戸数がそのままなんだから、こうなんじゃん⎦ ⎡マジかぁ〜、どうする?⎦ ⎡でも言っとくけど、此処無くなったら、もう海を眺めて暮すってのは諦めないとなんないよ⎦ ⎡それは、嫌だぁ!⎦ ⎡じゃぁ、このボロ家に、頑張って貰うだけ頑張って貰って、それから此処に家建てようよ⎦ ⎡うん、賛成だね、そうしよう⎦ 話はまとまったが、先の算数の難題はなにひとつ解決していない。 この馬鹿 blog を読んで戴いている方には、妻帯者もおられるし、そうじゃない方もおられると思う。 これから、妻帯者になろうかという方には、参考にして戴きたい。 例によって、いい加減な私見だけど。 どちらもが賢い夫婦というのは、あまり幸せになれないと思う。 どちらかが賢くて、どちらかが馬鹿だと、そこそこ幸せに過ごせる。 どちらもが馬鹿だと、これはもう人生薔薇色である。 要は、世の中馬鹿ほど強い者はいないんだと思っていて。 その馬鹿が、ふたり揃って世の中を渡ろうっていうんだから、恐いもの無しである。 さすがに、事の重大さからか、嫁が再び訊く。 ⎡ねぇ、私達、間違ってないよねぇ?⎦ ⎡まぁ、見方によるけど、大旨良いんじゃないの⎦ ⎡そっかぁ〜、大旨良いんなら、良いかぁ⎦ ⎡それにしても、私達も、こういう事で悩む歳になったんだよねぇ⎦ 普通なら、夫婦ふたりで、もうちょっと手前で、色々と考えを巡らせるものだが。 そんなことは、しない。 馬鹿が、何故に幸せなのか? それは、心配事や厄介事の深堀りをしないという生まれついての体質によるのだと思う。 今年一年間のご愛読、感謝です。 皆様にとって、迎える新年が良き年となりますように。   … 続きを読む

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