四百七十九話 眼前の島 其の二

眼前の島 其の一からの続きです。
まぁ、とにかく水産加工場脇の空き地に車を停める。
大きな鉄骨組の加工場は、海側と両側面を壁で閉じ、陸側を全面開放した簡素な造りで。
薄暗く錆びた感じの場内を窺うと。
コンクリート製の水槽が並び、床には数台の水上バイク、壁にはウェットスーツが掛けられている。
ヘぇ〜、水産加工ってこんなとこでやるんだぁ。
と、感心はしたけれど、別に社会見学に訪れているわけではない。
飯は?貝焼きは?
そこへ、いかにも漁師の娘的なおねぇちゃんがやって来て。
「こんにちは、こっち入って」
加工場内の左角に小屋らしきものが入れ籠のようにあって、そこが食堂らしい。
四卓と十畳ほどの小上がりが設えられている。
食堂というより漁師の休憩所みたいな風情に近い。
「河豚は前日予約でないと無理だから、貝焼きで良いよね」
「蛸飯はどうする?」
貝焼きと蛸飯を注文して待つ。
そして、盆に盛られた貝を目にした瞬間、これは儲けたと確信した。
街中の店屋で、こういう高揚感を味わうのは難しい。
鮑、さざえ、大鯏、蛤、檜扇貝などが盛られている。
檜扇などという貝は、見たことも聞いたこともなかったが。
貝柱を食用とする帆立に似た貝で、市場にはあまり出回らない貝だそうだ。
「この檜扇貝だけは養殖なんよ」
「ところで自分達で焼く?」
「焼き加減とか貝によって違うんじゃないの?素人でも大丈夫?」
「う〜ん、ちょっとどうかなぁ」
「 なら、せこいんだけど、値の張るやつは、おねぇさんがやってよ」
「ええよ、じゃぁ、鮑から焼くね」
おねぇちゃんの捌きを眺めていて思った。
なんの領分でも、玄人の仕事を素人が真似るものではない。
貝それぞれに、それぞれのやり口というものがあるらしい。
喩えば。
鮑は、肝と身を分けて、肝だけを殻のうえで煮立たせ、身だけを網で焼く。
良い具合になったところで、身を殻に戻し耳掻き一杯分ほどのバターと醤油を垂らす。
また、大鯏は、酒粕でとか。
料理屋とは違い一見雑だが、喰うと見事に的を射ているといった具合だ。
これは、ほんとうに旨い。
蛤にしたって。
銀座の寿司屋で喰う煮蛤も、それはそれで確かに旨い。
だけど、どうも職人の手間を喰っているような気分で、貝そのものの滋味からは遠いように想う。
素材の本質をそのままに客に伝えるという術は、よほどその素材近くに身を置かねば習得出来ない。
その点では、貝を焼くのも、生地を縫うのも同じだ。
産地にも出向かず遠く離れた都会で服屋を気取っていても、良い服は仕立てられない。
今更ながら耳の痛い始末だ。
それにしても、食材の宝庫と呼ばれるこの地の奥は、まだまだ深いような気もする。

こうなったら、 来月も眼前の島を目指して橋を渡るかぁ。

 

カテゴリー:   パーマリンク