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五百七十六話 中越料理

これは、昔の写真。 僕のなかでは、“ 鴻華園 ” と聞けばこの景色が思い浮かぶ。 港街の狭い路地裏に佇む魔窟のような飯屋。 今では、移転して綺麗になったが学生の頃はこうだった。 地元では越南料理の名店として、その名をよく耳にした。 先日、東京のお世話になっている方に御礼の品を届けるため県庁前の肉屋を訪ねた帰り道。 緊急事態宣言延長下で静まりかえる神戸の街を歩く。 坂を下って下山手通へ、通り沿の壁に懐かしい屋号が記された看板が。 時刻は六時で、宣言で定められた八時の閉店時間にはまだ間がある。 他に客の姿はなく、広い店内にポツンと腰を掛けた。 亭主の鴻本志華さんが注文を取りに厨房からでてきてくれる。 一九六九年越南生まれで、先代の息子だ。 単品注文だと二品ほどしか食べれないので、コースでお願いすることにする。 “ 什錦拼盆 ” 冷菜の盛り合わせから。 続いて、“ 越南粉巻 ” いわゆる越南春巻なのだが、生春巻ではなく蒸してある。 もちもちした皮の食感と甘辛く炒めた牛ミンチが絡む。 米を粉にして皮にするのも、すべて手作業で一枚一枚作るらしい。 うちの名物だと胸を張って言うのも納得がいく逸品だ。 “ 時菜双鮮 ” この皿に限らずとにかく何を食べても、素材それぞれの食感が良い。 併せて 、ほのかに鼻をつく越南魚醤の香りが、広東料理とはまた違った格別の風味を紡ぐ。 “ 蟹肉豆腐湯 ” あっさりと口を戻してくれる。 “ 中越双拼 ” 揚げ物が二種類。 … 続きを読む

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五百七十四話 初夏の前海から 

気持ち悪いと思うか?旨そうだと感じるか? それは、こいつが何かを知っているか否かだろう。 実は、訊くまで僕も知らなかった。 正体は、鰆の白子なのだそうだ。 鰆は、春から初夏にかけて 産卵期を迎える。 これは、この時期だけの旬の地物だ。 嫁が、海辺の家の前海で揚がった鰆の卵巣を仕入れてきて調理するのだと言う。 「安くて、臭みもなくて、旨いんだよね、これが」 塩を振り、血管を除き、滑りを洗い落として、茹でる。 そして、紅葉おろしと葱を薬味にポン酢でいただく。 こんな感じ。 味は、河豚の白子やアンコウの肝に似ているが、より淡白で食べ良い。 昼網の地物だけあって、臭みもまったく無い。 初めて食ったけど、確かにこれはなかなか旨いわ! この時期、瀬戸内海に面した牛窓あたりでは、鰆のアラで出汁をとり味噌汁にするらしい。 それはそれで旨いかも。

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五百六十九話 仏風鴨鍋

東京出張の帰りには、品川駅で “ Table OGINO ” に寄って新幹線に乗るというのが決まりだった。 車内用と家用に、季節毎の Pâté や Terrine を買う。 仏版 Fast Food を愉しむ。 “ Table OGINO ” の Gibier 的な味わいは独特で毎日食っても飽きることはない。 特に、“ 鹿肉とさくらんぼと栗の Terrine ” は、ほんとうに旨い。 鹿肉特有の鉄臭さとアメリカン・チェリーのシロップ煮と栗の甘露煮の甘さが交わる。 最強の Terrine かもしれない。 そんな “ Table OGINO ” の鴨鍋を取寄せて家で愉しめるというネタを嫁が仕入れてきた。 Gibier の伝道師の異名を持つ仏料理人 荻野伸也が供する “ 仏風鴨しゃぶ鍋 … 続きを読む

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五百六十七話 海峡に巡る春

市場へと坂をくだっていった嫁が、袋を抱えて帰ってきた。 「もう春だわぁ!」 海の際で育った者は、これで春が来たと知るらしい。 茎わかめ? わかめの真ん中、中茎と元茎の部位にあたる。 いわば芯の部分で、ちょっと固いので、食用として活用されることはほとんどなかった。 しかし、高い栄養価と独特の歯応えから、漁師達や地元民は旬の食材として好んだという。 「なんか色の悪いアロエみたいだけど、どうやって食うの?」 海辺の家あたりでは、この茎わかめを “ ミミチ ”  と呼んで佃煮にするのだそうだ。 もうひとつの袋には、また別のものが入っている。 「なに?これ? なんか気持ち悪いんだけど」 「まぁ、山育ちにはわかんないよね」 いや、北摂は充分都会だと思うけど、いちいち反論はしない。 生海苔? 大阪湾の豊かな養分と明石海峡の潮流が育む須磨海苔は、肉厚さと磯の芳香で名品とされる。 とにかく値が張り、そのほとんどを料亭向けに出荷している。 梅が蕾を膨らませる頃、神戸の海では海苔漁が始まる。 そして、この季節でしか味わえないのが、これ。 新芽だけの “ 初摘み海苔 ” で、乾燥前の生海苔だ。 とりあえず、生海苔豆腐鍋にしてみる。 海苔を水洗いし、水気をきる。 鍋に水と白葱を入れた出汁汁を沸騰させ、豆腐を加え、最後に海苔を入れてさっと煮る。 これだけなのだが、たしかに旨い。 明日は、嫁の嫌いな粕汁にこいつを丸めてぶち込んで食ってやろう。 きっと、さらに旨いに違いない。 眼前の海には、海苔漁へと向う船がいく。 こうして、海峡に春が巡る。        

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五百六十四話 禁断のピザ釜

穏な潮が流れる坂越湾に、生島樹林に囲まれた千種川から清流が流れこむ。 湾では、良質の植物性プランクトンが育ち、最高の牡蠣が産まれる。 ぷっくりと大きな身に独特の磯の香りが漂う坂越の牡蠣は、唯一無二の逸品。 生で食べても文句なく旨いのだけれど、さらに高みをめざす術を最近知った。 坂越牡蠣を ピザ用の薪窯で焼く。 これはもう、 悪魔の所業並みに旨い。 火を通すことで凝縮され、ただでさえ濃厚な旨味がさらに増す。 ガス火でも、炭火でもなく、ここはやはりピザ釜の薪火でなければいけない。 唐突に閃く。 そうだ、海辺の家にピザ釜が欲しい! これがあれば、コロナ禍での家飯のテンションは爆上がり間違いなし。 なのだが、ある先輩の忠告を思い出した。 先輩によると、還暦を過ぎたおっさんには、買ってはならないものがあるのだそうだ。 珈琲の焙煎機、蕎麦の捏鉢、燻製機、そしてピザ釜。 「このうちのひとつでも手にしたら、偏屈な老人の道まっしぐらで、そのまま終わるぞ」 「おんなにドン引きされて、悪くすりゃあ別れることにもなるわなぁ」 「えっ!嘘でしょ? 俺、全部欲しいんですけど」 「 オメェ、ヤベェなぁ、完全にクズじゃん」 そう言った先輩は、蕎麦の捏鉢以外の三つを持っている。 そして、離婚経験ありの筋金入りのクズだ。 さらに、クズのまま人生を終えようとしている。 オリーブオイルをかけ檸檬を搾ったピザ釜で焼かれた坂越牡蠣。 食いながら思案した。 それでも買うべきか? それとも買わざるべきか?

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五百六十三話 撤収! 

  感染急増により緊急事態宣言を発出。 予定していた二〇二一年の新年会は、中止。 二〇二〇年の忘年会もゼロ、二〇二一年の新年会もゼロ。 な〜んも、なし! ふたりっきりの海辺の家で、嫁が。 「あぁ、やめやめ!気取った料理なんて作ってもしょうがないわ!」 「今日は、鯖サンドに 、ジンのソーダ割り山椒葉添えで良いよね」 「俺もそっちの方が旨そうな気するな」 もはや、飯というよりやけ酒だな。 よって、とっておきの七福神の盃も、揃って撤収 !    

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五百六十二話 日本最古の天然岩海苔

数年前にも投稿したような気もするけど、雑煮の話です。 一八歳の頃、義母にこれが我家の雑煮だと言われ、初めて口にした。 黒塗碗の蓋を開けて驚く。 「なんすっか?これ?」 「真っ黒なんだけど、これって食えるんですか?」 「出雲の雑煮よ」 「まじっすか!正月からやばそうなもん食うんですね」 「でもね、見かけはこんな感じなんだけど、ほんとはこうじゃないのよ」 出雲の旧家である神門家に継がれた雑煮は、こうして作る。 日本酒に大量の鰹節を入れて出汁をとり、その出汁と同量の醤油と味醂を混ぜて火にかける。 最後に砂糖で味を整え、湯がいた餅に鰹節と岩海苔をのせたものに注ぐ。 出雲で産れ育った義母が、残念そうにこうじゃないと言ったのは岩海苔の事だった。 ほんとうは、出雲でしか採れない岩海苔を用いるべきなのだが手に入らない。 なので。他所の岩海苔を代用しているらしい。 以降ずっと代用海苔で年明けを迎えてきた義母が、八〇歳を超えた頃だった。 たいした孝行もせずにきたので、ここはひとつ本物を食わしてやりたいと岩海苔探索を思い立つ。 義母に尋ねても、海苔の名称は忘れてしまっていた。 その正体が、“ 十六島海苔 ” と呼ばれる希少な海苔であると知るのにもそうとうの手間がかかった。 “ ウップルイノリ ” は、島根半島先端にある十六島の岩場でしか採れない。 天然のはぎ海苔で、極寒期に一度、荒波のなか命綱を装着して行う危険な漁だという。 漁師は、平均年齢八〇歳の女性達で 、今では二〇人ほどしかいない。 この風土記にも登場する日本最古の岩海苔は、採取量は僅かで、入手が難しく、驚くほど値も高い。 訳を知ると、義母の手に入らなかったのも頷ける。 いろいろと探して、出雲市内で日露戦争の頃より煙草や塩や乾物を商ってきた店屋に行きあたる。 “ 松ヶ枝屋 ” 一廉の店主で、義母が亡くなった際には丁重なお悔みの書状に仏前の品を添えて届けてくださった。 以来、餅や鰹節や削機の刃の修理まで毎年お世話になっている。 最初のこの時も、義母の事情を汲んで 希少な海苔を暮れに間に合わせて送っていただいた。 こうして、半世紀の刻を経て、義母はほんものの雑煮を口にした。 「長生きもしてみるもんだわ、まさか逝く前にこれを口にできるなんて」 雑煮を食うと、今でもその滅茶苦茶喜んでくれた顔を想い出す。 そして、義母が亡くなって問題が発生する。 … 続きを読む

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五百六十話 おんな蕎麦打職人

この港街に、これといった不満はないけれど。 ただひとつあるとしたら、旨い蕎麦屋が少ないということかもしれない。 数年前、立喰蕎麦でもなんでもとにかく蕎麦が食いたくなって、暖簾をくぐった。 開店して間もない様子で、およそ旨い蕎麦を食わせるような外観でもない店屋。 手打ちと揚げられているが、なんの期待もせずにいた。 客の姿はなく、Café 風の店内には、愛想のなさそうな店主がひとり。 おんなだ! おんなの蕎麦打職人? 田舎の産地では、縁側で婆婆が蕎麦を打つ姿は普通に見かける。 なので、おんなだからどうだという話ではない。 問題は、蕎麦という食物とこのおねえちゃんの印象があまりにもかけ離れている。 綺麗な顔立ちで、すらっと背が高く、しっくりくるとしたら高級 boutique あたりだろう。 正直なところ、これはしくじったと思った。 「天麩羅蕎麦ください」 「はい」 愛想がないというか、素っ気無いクールな応対は、見た目どおりだ。 しばらくして、台に注文した蕎麦が置かれた。 若い時分から全国の産地で蕎麦を食べ歩いてきたので、良い蕎麦か否かは見ればおおよそ分かる。 色は、更科ほど白くなく薄らとした灰色で、切りは細く角が立ち、程よくシメられている。 なんだこれ!めちゃくちゃ旨そうだわ! 塩を振って口に運ぶ。 言葉で表すのがなかなかに難しい。 更科の洗練された粋と蕎麦産地の土臭い風味が絶妙な塩梅で合わさったような不思議な蕎麦だ。 旨い! 「これなに?おいしいわぁ!」 「ありがとうございます」 「九・一なんですけど」 蕎麦粉九割・割粉1割の九一蕎麦らしい。 「また難しいことを、あんた何者?」 「堂賀の亡くなった先代が師匠で、此処で始めることにしました」 伺ったことはないが、名店 “ 堂賀 ” の名はもちろん知っている。 凛とした口調で不要なことを言わない。 この蕎麦も同じだ。 余計な無駄をせず、正確で丁寧で簡素で旨い。 … 続きを読む

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五百五十三話 希凛に行く

友人が海辺の家で一泊するというので、近場での外食に誘った。 せっかくだから、明石の鮨屋に出向いて沖合で獲れる地物を食おうとなる。 夏の終わりで、蛸に、鱧に、穴子にと時期も良い。 明石で鮨屋といえば、老舗 “ 菊水鮨 ” が浮かぶ。 旨いし、誰を伴っても間違のない名店中の名店だ。 それはそうなのだが、ちょっと違った志向で他の店屋を選んでみた。 台を挟んで、亭主と客が向き合って供される鮨には、Entertainment 的な魅力もあると思う。 また、ネタそれぞれに姿を変えて握られる鮨では、その造形自体を楽しむというのもありだろう。 この鮨屋は、そんな望みを意外な趣向で満たしてくれる。 明石 希凛 明石魚棚商店街の中程に暖簾を掲げている。 明石では、比較的新参の鮨屋だが、瞬く間に隣に二号店、淡路島に新店と勢いがとまらない。 どの店も、予約は必須で、その日の気分でという訳にはいかない人気を誇っている。 入口側のカウンター席に腰掛けていたこの日も、五分おきに訪ねる客を次々と断る始末だ。 亭主に。 「感染予防のこの時節に凄げぇなぁ」 「ほんと、みなさん何しに来られるんですかねぇ?」 「そりゃ、鮨食いにやろ、他になにがあるっていうんや」 腕と才覚に運が味方すると、感染症ごときでは揺らぐことはない。 「自粛中は、なにしてたん?」 「店の改装してました」 女性の設計士が手掛けたという店内は、白を基調に今様で明るく仕上げられていた。 そんな “ 希凛 ” の鮨は、おまかせで供される。 「明石鯛を塩で」から始まって、大間本鮪の大トロ、湯引鱧に玉葱、鯵に練り辛子、明石蛸に柚子。 そして、穴子は蒸しで甘辛く、平目に漬けた玉葱。 さらに、平目を終えるの見計って、亭主から手渡されのが。 「なに?これ?」 「帆立です」 酢飯に炙った帆立をのせ焼海苔で巻いて手渡す。 見た目は、 切り餅に甘めのさとう醤油をたっぷり絡めて海苔を巻いた磯部焼そっくり。 旨いかと訊かれると旨いが、磯部焼かと訊かれると味も磯部焼。 … 続きを読む

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五百五十話 台湾人の夏ごはん

八月。 この国の夏は暑いけれど、もっと過酷に暑い国も近くにある。 夏の台湾を訪れたことはないが、そうらしい。 神戸は、台湾のひとも多く棲む街で、その食文化に触れる機会も多い。 海辺を通る国道沿いに、ちいさな食堂が暖簾を揚げた。 店主は、台湾からやって来た女性だそうだ。 国立台湾芸術大学卒の水墨画家で、料理研究家でもあって、名を Lin Sieii  という。 またなんでこんな場所で? とは思いはしたが、まぁ、それなりの事情があるんだろう。 “ 小宇宙食堂 ” 屋号からして、台湾の不思議ちゃんの気配がする。 ほんとうにちいさくて、ややおおきめの屋台くらいの食堂だ。 Lin Sieii 筆の水墨画が飾られいる。 淡く素朴な水墨画だが、筆法は巧みで、値段次第では欲しいかもしれない。 ただ、描かれた題材は、やっぱりちょっと不思議ちゃんの匂いが漂う。 この日、店主不在で、店番は若いおにいちゃんがひとりで仕切っていた。 渡された品書に目を通したが、なんのことかさっぱりで、味はおろか見た目の想像すらつかない。 「滷肉飯ってなに?」 「ん?あぁ?ルーローハン?」 「いや、俺が、訊いてるから」 「つうか、おにいちゃん、日本語大丈夫なのかな?」 「えっ?なに?ちょっとわかんない」 「ちょっとじゃなくて、だいぶとわかんないよね」 去年の暮れに台湾から来たらしいので、日本語の出来としては、これでも上々の方だろう。 「じゃぁ、とにかく滷肉飯定食で、これでお腹一杯になる?」 「えっ? いっぱい? ならない、ならない、全然ならないよ」 「じゃぁ、どうすんの?」 「これ」 「あぁ、肉饅ね、これはわかるわ」 滷肉飯定食と肉饅を注文した。 滷肉飯は、醤油で甘辛く煮た豚肉がのった台湾の丼物だったと記憶している。 どちらかというとしっかりとした味を想像していたが、供された滷肉飯は驚くほど薄味だ。 口に運んだ瞬間にはただ薄いと感じた味が、段々と薬膳風の複雑な味へと変化していく。 … 続きを読む

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