六百三十六話 ゴジラ ー1.0

十一月十一日の夜。
骨の折れた右手を抱かえながら late-night screening の IMAX で観た。
“ ゴジラ -1.0 ”
内容は明かせないが、作品の素晴らしい仕上がりに魅せられました。
思えば、劇場で初めてゴジラを観たのは一九六四年の春だった。
“ モスラ対ゴジラ ”
ゴジラを世に送り出した本多猪四郎監督と円谷英二特技監督が手を組んで制作された第四作。
以来、ゴジラは幼少期の記憶のど真ん中に居座り続けることになる。
昭和の時代、東宝ゴジラに続け!との大号令のなか他にも怪獣映画が制作された。
大映は “ 大怪獣ガメラ ” 、日活は “ 大巨獣ガッパ ” など。
父親は、当時活動屋として日活に在職していたのでガッパ制作側だった。
円谷監督の片腕だった渡辺明を特技監督として招聘し挑んだ日活唯一の怪獣映画。
封切初日、父親の冴えない顔を今でも憶えている。
「怪獣とか慣れへんことやるもんやないなぁ」とか言って、持帰ったポスターを眺めていた。
ガッパに限らず、過ぎゆく時代の中で他の怪獣達も産まれては消えていく。
だが、ゴジラだけは違った。
興行収益の紆余曲折はあったにせよ、昭和・平成・令和と生き抜いて今も銀幕に堂々と立つ。
いったいゴジラとは何者なのか?
その答えのひとつが、作曲家 伊福部 昭先生によって創造されたあの鳴声にあるのだと思う。
ゴジラの鳴声は、一九五四年の初回作から大きくは変わっていない。
破壊者と被害者が一音に凝縮し共存したような独特の鳴声。
悲哀、矛盾、挫折、後悔など負の記憶が、ある種の郷愁を伴ってひとの胸を裂く。
鳴声への共感。
それは、当時を忘れ去った日本人にも遺伝子として刷り込まれ抱かれ続けているのではないか?
そういった想いに山崎 貴監督は応えてくれている。
収録は、千葉マリンスタジアムを貸し切って敢行されたらしい。
中央で大音量の鳴声を流し、球場全体に響かせ収音したのだそうだ。
甲斐あって本作劇中でのゴジラの鳴声は、過去のどの作品と比べても格別なものとなっている。
監督・脚本・VFX を担われた山崎 貴監督のゴジラへの思慮深さは半端ないと思う。
加えて、本作は、前作 “ シン・ゴジラ ” に続く国産実写ゴジラ映画三〇作品目となる。
その重圧を承知で引き受け、この出来映えとはほんとうに凄い方だ。
次回作を担う監督はより大変だろうけれど、ゴジラ国産映画化の未来は明るい。
もう二度と海を渡って “ GODZILLA ” になってほしくないとの想いがある。

“ ゴジラ -1.0 ” の制作を託された関係者の皆様、本物のゴジラをありがとうございました。

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