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六百七話 海辺の御盆

新盆の関東は七月だが、旧盆の関西は今日が盆の入り。 迎え支度を終え、お膳を整えて、日暮刻を待って迎え火を炊く。 この国に継がれる大切な夏のしきたりだ。 それぞれの家に、それぞれの想い火が灯る。 おかえりなさい。      

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六百五話 万年筆

“ 弘法筆を選ばず ” との喩えがあるが、実際のお大師様は、滅茶苦茶にこだわっていたらしい。 まぁ、 お大師様は、能書家であられたのでそれはそれで良いのだけれど。 悪筆にもかかわらず、筆記具に凝るひとがいる。 大体が男性に多いように思う。 自慢じゃないが、僕もその典型的なひとりである。 逆に女性は、筆記具に限らず道具は合理的に機能優先で選択する。 昔、Musée du Dragon の店内で、嫁が事務仕事をしていた時のこと。 使っていたのは、百円ほどの使い捨てボールペン。 その姿を傍で眺めていた顧客様のおひとりに声をかけられる。 「この万年筆、僕はもう使うことがないので、良かったら差し上げます」 “ Writing Jewel ” と称えられる伊 Montegrappa 社の名品。 その綺麗な銀細工が施された古い万年筆を置いて帰られた。 粋な方だった。 以来、嫁は、大切な愛用品のひとつとして手元に置いて使わせてもらっている。 先日、インクが切れて買いに行くというので付き合った。 「なんか黒とか青とかじゃなくって、もっと格好良い色ないかなぁ」 そういう話だったら、ちゃんとした文具店に行かないとならない。 文具屋という業種そのものが街中から消えようとしている時代にあっては、なかなかの難題だ。 思い至った店屋は、神戸三宮の “ ナガサワ文具店 ” 神戸では、老舗中の老舗で、場所は移転したもののまだ営んでいるという。 行くと、万年筆売場は、ちょっとした部屋になっていて、さすがの品揃えに驚かされる。 ナガサワ独自の高級万年筆まであるという充実ぶりだ。 嫁は、この道で経験を積んできた風の男性店員に相談している。 「うわぁ〜、なにこれ? 阪急電車色って、凄い!」 … 続きを読む

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五百九十八話 物 欲

  誕生日。 爺が、さらに爺になるという儀式で、めでたい要素はどこにもない。 ただ、この歳まで無事に過ごせたのだから、有難いといえば有難い。 嫁から訊かれる。 「なんか欲しいものある?」 「べつに何もない」 「ほんとに、何もないの?」 「あぁ、そういえばシャワーヘッドとか、マイクロバブル的なやつ」 「オバハンかぁ!だいたいそんなものどうすんの?」 「えっ? 身体とかが綺麗になるんじゃないの?」 「ならんわぁ!」 「じゃぁ、何もいらない」 歳のせいなのか?モノに溢れる環境で暮らしてきたせいなのか? 理由はよくわからないけれど。 さっぱり物欲が湧かない。 どこかに出かけて消費するという行為そのものが面倒臭くなってきた。 マズイなぁ、これは。 それでも、食欲だけはあるから、まぁ、良いかぁ。 蝋燭吹き消して、与えてもらったケーキ食って、寝よ。    

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五百九十六話 異形の獣

遂にというか、ようやく手に入れた。 若き彫刻家、坂田源平の作品。 あたまの中にいる “ ANIMAL ” を図鑑のように表現する現代美術作家がいる。 知ったのは、五年ほど前だったと思う。 不可思議で不安定な形態。 惚けた表情。 錆びか?苔か?が、こびりついたように塗り重ねられた彩色。 勢いを残した鑿の軌跡。 かろうじてそれが何者なのかが判るものの、実態とはかけ離れた異形。 何をどう見たらこうなるのか? また困った作家が彷徨き始めたものだというのが、最初の印象だった。 しかし一方で、下世話ではあるが、美術品としての洗練された趣が作品に漂っている。 これは、欲しい! 以来、いろいろと手を尽くしてみたものの縁に恵まれず諦めかけていた。 半年前の夏、京都の御池通りを夫婦で歩いていた時、通りすがりの画廊に嫁が目を停める。 「あれ、良いじゃないの」 古びた李朝箪笥に牛の彫刻が置かれている。 「 えっ!坂田源平?嘘だろ?」 京都の一等地に構える老舗美術画廊 “ 蔵丘洞 ” 店主に話を訊くと、坂田源平先生とは、作家となる以前からの付合いだという。 今、この一点を手に入れるか?それとも、他作品を待って数点から選ぶか? 画廊懇意の作家となると待つのも一興かもしれない。 賭けだったが、そうすることにする。 そして、年が明けた先日、坂田源平作品展の案内状が届く。 ここからは、迷っている暇も、気取っている暇もない、一気に話を詰める。 まず出展される作品の概要を口頭で訊く。 そして、個展開催日までにそれらを観られるよう依頼する。 「遠方より何度もお運びいただき恐縮です」 「当方にて、ご依頼通り取り計らいさせていただきます」 さすがに京都筋の美術商、こちらの意向を淡々と汲んで無駄な煽りはしない。 開催日の前日、全国的に大雪で、不要不急の車での外出は避けるよう呼びかけられていた。 そんな朝、鴨川に積もる雪を眺めながら画廊へと向かう。 … 続きを読む

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五百九十四話 あけましておめでとうございます。

あけましておめでとうございます。 二〇二二年、寅年。 多くは望まないけれど、気兼ねなく逢いたいひとに逢えるくらいの望みは叶えて欲しい。 本年が、皆様にとって、より良い年となりますように。

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五百九十一話 IKEBANA !

嫁の作品。 ようやくこの歳になって、年の瀬に花でも生けてみようかという余裕ができたらしい。 嫁と違い華道の欠片も知りはしないが、野趣で、奔放で、なかなか良いと想う。 だけど、これって、Christmas 用?それともお正月用?ただ生けただけ? よく分からない。 でも、まぁ、そっとしておこう。

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五百八十三話 仮想から理想へ、そして、想像から創造へ。

“ TSUBURAYA EXHIBITION 2021 ” コロナ禍だろうとなんだろうと、詣でないという選択肢はない! 問題はいつお参りするかだが、終盤の昨日にした。 兵庫県立美術館へ。 館地下の駐車場は満杯。 会場受付には夏休み中の子供、その息子以上に興奮している父親、開催期間中無限に通うオタク。 そして、無理矢理連れ出されて不機嫌な母親や嫁達で溢れている。 コロナ禍の開催終盤にして、この人気とはなぁ。 昭和という時代。 映像・音楽業界の天才達が、寝食を厭わず取り組んだ傑作中の傑作 “ ウルトラ・シリーズ  ” 一九六六年一月二日、その初号となる “ ウルトラQ ” が TV放映される。 全編映画用三五ミリ・フィルムでの撮影という常識外れの制作体制で臨んだ作品だった。 僕は、当時、後数日で六歳になるという頃。 一族郎党の皆が映画人という奇妙な家に産まれ、“ TV は敵だ!” という空気を吸って育った。 “ 活動屋の息子が、TV なんか観るな!” という斜陽側の屁理屈を押付られる。 正月の二日は、映画人にとっての掻き入れ刻、子供達は劇場にほったらかしにされる。 おとなの目を盗んで、裏手の事務所でひとつ歳上の従兄弟と禁断のテレビにかじりついて観た。 古代怪獣ゴメスが目に飛び込んでくる。 もう鼻血が吹き出すほどの興奮で、原始怪鳥リトラが登場する頃には気絶しそうだった。 そして、同じ年の七月、巨大変身ヒーロー 「 ウルトラマン … 続きを読む

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五百八十一話 狂騒の時代が、今にもたらした惨事

Cornelius 小山田圭吾に続いて、Rahmens 小林賢太郎までもかぁ! 音楽・演出担当の辞任解任という東京五輪開会式を明日に控えてのこの惨事。 まぁ、そりゃぁ、こうなるわなぁ。 何者なのか?と訊かれて。 九〇年代の Sub Culture Scene を想起しない業界関係者はまず日本にはいないだろう。 では、このふたりが傾倒し担った九〇年代の Sub Culture とは何だったのか? 九〇年代は、写真にある Sub Culture 史の中でも特異で異様な時代だった。 その表現には、大抵の場合、世紀末・悪趣味・鬼畜・叛逆などの言葉が躍る。 狂気に満ちたこの時代の提唱者だった故・村崎百郎さんの言葉を借りると。 “ 徹頭徹尾加害者であることを選び、己の快楽原則に忠実に生きる利己的なライフスタイル ” この文脈が全てを語っているかどうかは疑わしいが、何らかの闇を孕んでいたには違いない。 それは、倫理的に完全に間違った闇で、次世紀に於いて決して容認されない闇だった。 しかし、九〇年代。 創作に関わる分野で、こうした闇に救いを求めたひとは多くいたと記憶している。 自身も決して無縁だったとは言い切れない。 そして、今でも周りには 九〇年代の Sub Culture を引きずっているデザイナーがいるのも事実だ。 そこで、今回の惨事である。 九〇年代の Sub Culture を全く理解していなかった人達が、人選したとしても許されない。 そもそも Sub Culture とは、主流文化の価値観に反する少数集団を担い手とする文化である。 … 続きを読む

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五百八十話 接種完了!

初回接種から三週間経った昨日、二回目の接種を終えた。 一夜明けて。 腕は痛いものの、なんの変化もなし。 頭が痛いわけでもないし、熱があるわけでもないし、身体がだるいわけでもない。 こんな調子で、抗体できんのかなぁ? 副反応があったらあったで鬱陶しいし、逆になかったらないで効果を疑う。 ワクチンとは、結構面倒臭い代物だ。 しかし、先端科学技術の結晶を我身をもって体感できるというのは、ちょっと嬉しい。 昔、接種時に小学校で教わったワクチンの原理を思い出した。 感染した状況を擬似的に誘発させ、対抗する免疫を人為的に体内で形成させる手段である。 そう述べた保健教員に対して、同級のひとりが歓声をあげた。 「仮面ライダーや!」 生体置換技術によって身体を変異させ武装強化するという発想は、確かに近いかもしれない。 この同級生にとっては、注射の恐怖より仮面ライダーへの期待と感動の方が遥かに大きかった。 そして、残念なことに仮面ライダーにはなれなかったが、後に生化学の研究者としては成功した。 そんな頃から半世紀経った今、人類はコロナ禍を生きている。 地球規模の大量ワクチンを一日も早く!を、世界は願ったけれど。 それには、ウイルスを大量に培養し複製しなければならない。 隔離製造施設建設を含め膨大な時間を要する旧来型の手法では、到底間に合わないのではないか? 実際そういう報道もされていた中、 人類は、“ Messenger RNA Vaccine ” なるものを生み出した。 スパイク蛋白質の設計図を脂質の殻で保護し、人体に送り込む。 設計図に基づいたスパイク蛋白質が体内で形成され、免疫の発動を促し抗体をつくる。 しかも、スパイク蛋白質( mRNA )は、分解し人間のDNAが存在する細胞核には侵入できない。 よって、ヒトの細胞内に取り込まれることはないとされている。 結果、攻撃方法を覚えこまされた免疫細胞が、効率的にウイルスを撃退するという。 もちろん “ Messenger RNA Vaccine ” 作成には、ウイルスそのものは必要としない。 培養も複製の手間も要らず、遺伝子情報だけで開発が進められる。 … 続きを読む

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五百七十九話 Science will win !

昨日、市役所から接種券が届く。 摂取予約が大変だと聞いていたので、近所で開業している知合いの医者に尋ねてみることにする。 「摂取券届いたんだけど、予約どうしたらいいの?」 「券は手元にあんの? だったら、それ持って明日にでも来て」 「えっ!明日?だったら、嫁も一緒に行っていいかな?」 「じゃぁ、ふたりでおいで」 六五歳以下は、まだ先だと思っていたし、打てる時に打てればそれで良いという腹づもりだった。 それが、昨日の今日で摂取になろうとは、それも歩いて五分もかからない場所で。 ありがたいような、申し訳ないような気もするけれど、拒む理由もない。 とりあえず、夫婦で摂取することにした。 本日が一回目、三週間後に二回目ということで、摂取完了は七月中旬になる。 PFIZER 製 COVIT-19 VACCINE 効能や副反応も含めて、詳しくは知らない。 けれど、人類の HERO と謳われる PFIZER 社の CEO はこう云う。 “ Science will win ! ” だと、良いけどな。  

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