五百二十四話 A FRIEND IN NEED

旧い街には、忘れ去られた嘘のような真実があるものである。
海辺の家の傍には、川が流れていて、その先は明石海峡に注いでいる。
この街で産まれ育った嫁には、この川に纏わるとっておきの噺がある。
昔、豪雨だか台風だかで川が氾濫し、上流にあった牧場から牛が流されてきたらしい。
その日を境に、給食の盆には昨日までとは違う誰もが知る銘柄の牛乳がのることになった。
これ、マジだからぁ!
半世紀経った今でも、年に一度はこの噺を聞かされる。
だけど、牧場は宅地となり、河川は護岸化され、嫁ご自慢の郷土噺も刻とともに証が薄れていく。
もう今では、マジだからぁ!を連発せずにはいられない。
街場の口伝とは、そうしたものである。
そして、この川は、牛乳騒動噺とは違う物語にも登場する。
物語の作者は、嫁ではない。
画家 Poul Gauguin の生涯を題材に描いた  “ 月と六ペンス ” の著者 William Somerset Maugham 。
英国を代表する文豪である。
米国月刊誌 COSMOPOLITAN に寄稿 された短編小説  “ A friend in need is a friend ”
神戸在住の英国人実業家が、博打で無一文になり仕事も仕送りもない青年に賭けを仕掛けた。
塩屋英国人倶楽部から平磯燈台を廻って垂水川河口まで泳ぎ着ければ仕事をやる。
青年は賭けに負け潮に流され溺死、遺体発見は三日後だった。
どうして、賭けを仕掛けたのか?を実業家に訊く。
理由は、ちょうどその時仕事の空きがなかっただけ。
紳士面した実業家は、酒と博打で衰えた青年の体力と平磯海域の潮流を承知のうえで仕掛けたのだ。
たいした理由もないのに、若者を自殺行為へと追いやった。
英情報局 MI6 の工作員としての顔ももつ作家の冷酷な一面が知れる一幕だが。
よくこの海域を理解した者でなければ、これは書けない。
眺めの穏やかさとは裏腹に、平磯は潮流が激しく海峡の難所中の難所として地元では有名だ。
その潮流にも流されない灯標は、一八九三年英国人技師の指導によって山口県で建造された。
日本初の鉄筋コンクリート製燈台で、今なおそのままの姿で沖合にこうして在る。
それにしても何故、神戸西端のちいさな港街を英国人作家は舞台としたのか?
かつて作家は、ニューヨークから日本とシベリアを経由して欧州を旅している。
その際利用したのが、東京と敦賀の間を米原経由で結んでいた欧亜国際連絡列車。
途中、駐日英国人の間で話題だった別荘地 “ 塩屋 ” へと、米原で下車し向かった。
経緯としてはそんなことだったようだ。
諜報工作員でもあった英国人作家 Somerset Maugham が海峡を眺めながら小説を着想した街。
辛亥革命を主導した孫文が、新生中華民国を夢見て隠れ棲んだ街。
こんな垢抜けない港街だけど、探せばもっとワクワクする物語が隠れているのかも。
遺すべき資産を気づかずにいる無知ほど罪深いものはない。
波打際に沿う国道二号線を走ると、学生の頃当たり前のように建っていた洋館も今では数えるほど。
跡には、決まって次々と寝ぼけたような色に塗られたマンションが建つ。
その謳い文句がまた洒落ている。
“ 洗練と風格をまとう海が一望できる白亜の邸宅 ”

って、聞いてる方が恥ずかしいわ!

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