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六百四十一話 奥能登

一五年前、嫁の誕生日に世話になった半島最先端で営む一軒宿。 奥能登 珠洲市三崎町。 作詞家の阿久悠先生は、この宿で名曲 “ 北の宿から ” を書きあげられた。 宿での噺を、今でもよく互いに口にする。 昨日、この地が災厄に見舞われた。 何事もなくとはもはや言えないけれど、どうかご無事で。  

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六百十七話 もうひとつの島

淡路島の南端沖、ちいさな島がもうひとつ浮かんでいる。 淡路島の住人か、釣り人、古代史探訪者でもないかぎり、よく知ったひとはいないと思う。 神代の昔、周囲一〇キロにも満たない島は、国生みの舞台として古事記や日本書紀にも登場する。 淡路洲とか磤馭慮島(おのころじま)とか 呼ばれてきたが、今は沼島という名だ。 こうした国生み話に浪漫を抱く方もおられるだろうが、僕はそれほどでもなく興味はそこではない。 紀伊水道北西部にあたるこの海域は、圧倒的な豊かさを誇る魚場だと地元漁師はいう。 紀淡海峡と鳴門海峡のちょうど真ん中に在る沼島で、ふたつの潮流が重なる。 そこへ、島から豊かな栄養分が流れ込み餌となる小魚が育つ。 こんな漁場は、滅多とないのだそうだ。 沼島鱧、島の岩礁に棲みつく瀬付き鯵など、島でしか口にできない幻の魚も獲れる。 そして、冬場となると虎河豚 。 淡路の三年虎河豚は、下関の天然物にも引けを取らないと聞くけど本当なのか? 実のところ真の狙いは夏場の瀬付き鯵なのだが、その下見も兼ねて沼島に渡ってみようとなった。 海辺の家から明石海峡大橋を渡って神戸淡路鳴門自動車道を西淡三原ICまで南下。 降りて県道三一号線を土生港へ、港の駐車場に車を停め、ここから先は船で沼島に向かう。 沼島汽船の “ しまちどり ” に乗船し約一〇分ほどで島に着く。 淡路島の建設会社から、沼島なら此処が良いと勧められて食事だけの予約をしておいた木村屋旅館。 船着場から徒歩圏内の場所だが、車で出迎えてくれる。 変哲もない風景だが、対岸みたく俗化されていない瀬戸内の漁村が素のままにある。 目当ての木村屋旅館も、昭和の港街によく在った料理旅館まんまで気取りがなくて良い。 部屋には、すでに鍋支度が整えられていた。 これが、三年虎河豚かぁ。 二年ものの倍近くまでになるが、そこまで育つのは稀らしい。 天然物と比べどうかと訊かれると見極める舌の都合で自信はないが、歯応えも味も遜色ないと思う。 河豚刺しの薄造りも、色絵の皿が透けて図柄が見えるという料亭仕立てではないものの旨い。 船場の旦那衆が、河豚と“ 福 ” をかけて振舞う北新地の飾り立てた味とは違う漁場の野趣がある。 身もさることながら、白子と呼ばれる河豚の卵巣が格別だ。 天麩羅にしたこの白子は、天然物を超えるかもしれない。 わざわざ船で渡ってくるに値するという噂にも納得がいく。 女将さんに肝心な話を訊く。 「 幻とか言われる瀬付き鯵って、この辺りで獲れるの?」 「あぁ、わたし達は、トツカアジって呼んでるけど、夏場に獲れますよ」 … 続きを読む

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六百十二話 Tottori LOVE !

太平洋側の神戸から日本海側の鳥取へ。 うすら暗いどんよりとした空と荒れた海を期待していたのだが、まったく鳥取らしくない晴天。 従姉妹によれば、こんな冬日はめずらしいのだそうだ。 鳥取に暮らす従姉妹は、阪神間の郊外からこの地に嫁いでもうずいぶん経つ。 そして、冬になると、言ってはならない呪いの言葉をきまって口にする。 「報道で越後の豪雪が話題になって、その映像を観るのがわたし大好きなんだぁ」 「ほんとにお気の毒で、こんなのに比べたらどってことないじゃんって思える」 「もう心の支えよ、それ無しで冬は越せないってほど大切」 だったら留萌や網走はどうなんだって話だが、従姉妹にとってはなぜか越後がお好みらしい。 悪態は天候だけにとどまらず、季節を限定せず年中口にする言葉もある。 「 言っときますけどねぇ、な〜にもありませんよ、此処には!」 これは、従姉妹に限らず鳥取人がよく言う自虐ネタだ。 Seven-Eleven や Starbucks がないだの、電車が走ってないだの、鳥取駅に自動改札がないだの。 たしかに Seven-Eleven や Starbucks は遅ればせながらやってきたが、あとのふたつは今もない。 「でも、砂丘と蟹があるだろう」 とか、他所者が言おうものなら。 「はぁ? 砂丘は、猿ヶ森砂丘の三分の一だし、蟹みたいな面倒臭いのわたしは食べないから!」 察するに、鳥取人は、なにもないというのを訴求したいのだ。 そういえば、大阪の大学に通う甥が、Seven-Eleven や Starbucks が鳥取に出店したと知った時。 「そっかぁ〜、遂にできちゃったのかぁ、そっとしといてくれたら良かったのに」 と、がっくり肩を落として残念がっていたのを思い出した。 こうして何度か此処を訪れて想うことがある。 この奥ゆかしさを一切伴わない自虐性は、なにかを秘匿したいがための方弁ではないのか? 訴えのとおり、鳥取の地にはなにもないのか? いつも通り鳥取自動車道を北上し、途中川原サービスエリアに立ち寄る。 このサービスエリアには道の駅が併設されており、そこが “ 食の魔窟 ” への入口だ。 駐車場脇の屋台で、鶏肉を串に刺して焼いている。 … 続きを読む

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六百十一話 闇夜に浮かぶ二条城

京都にはよく行くけど、二条城にはとんと縁がない。 いつから行ってないんだろう?っていうか、行ったことあったかなぁ? と、いうほど縁がない場所だ。 洛中のど真ん中なので門前はよく通るが、中がどうなっているのかは知らない。 そんな二条城を、闇夜に輝かせようという催しがあるらしい。 「NAKED FLOWER 2022 秋 世界遺産 二条城」 文化庁移転記念事業として開催されるのだそうだ。 御池に在る骨董屋に頼んでいたモノを受け取るついでに向かうことにした。 六時半開演。 事前予約券だったので、あまり待たずに入場できたが、結構なひとの数だ。 鳳凰が、デジタル画像で蘇るという趣向の唐門をくぐって城内へ。 光で演出された名勝 二の丸庭園を散策しながら進む。 綺麗ではあるけれども幻想的というほど大袈裟なものではない。 まぁ、こんなもんだろう。 カップルや子供は盛り上るだろうが、感度が低めに設定されているこの歳の人間はそうはいかない。 内堀までやってきた。 立ち上がる石の城壁を屏風絵のように見立てたプロジェクションマッピングが展開される。 蓮子などの花々が投影されるなか、突然水飛沫があがった。 堀の中から巨大な鳳凰が登場し、石屏風の左から右へと飛び去っていく。 堀の水面にも映り込んで、スケール感はさらに倍増。 思わず感嘆の声があがった。 NAKED 村松亮太郎が創りだしたこの作品は、参加型のアート・プロジェクトでもあるという。 自分の花だったり、好みの色だったり、名前のクレジットだったりを映像に取り込めたりもする。 AIが何たるか?デジタル・アートが何たるか?を、欠片も知らない僕が語る術もないが。 新しいアートのかたちは、日々進化していて、想像を超えた異なる次元へと向かっているのだろう。 最初は、どうせ大したことないだろうと思っていたけれど、結構楽しめました。 来月もやっているので、興味のあるひとは是非! 行かれる時間帯は、開演すぐの方が良いと思います。 自然光が僅かに残る宵闇の方が、デジタル投影される光が曖昧に和らぎ美しい。 また、観る位置は、作品によって最良の場所を確保した方が迫力ある映像が楽しめます。 ご参考まで。

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五百七十話 高瀬船

京都。 木屋町を高瀬川に沿って歩くと二条通りと交わる。 ちょうど交わった辺りに、全く懐に優しくない古美術屋が在って、来るとつい寄ってしまう。 桜の頃にゆくと、人にまみれるだけなのだが、今年は様子が違った。 人影もまばらで、なんとなく心寂しい。 この高瀬川を舞台に、漱石先生は “ 性 ” を、鴎外先生は “ 死 ” を描いた。 文豪が愛した高瀬川の風情を束の間にせよ取り戻したかのように想う。 皮肉にもだけど。          

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五百二十八話 俵屋の秋

一ヶ月半ぶりで、ご無沙汰しております。 海辺の家の改築にともなう設計や材料手配や荷物整理やらで、落ち着かない日々を送っていて。 そんな最中、友人から “ 俵屋 ” に泊まるから一緒にどうか?と誘われた。 どうしようかと迷ったが。 友人とも久しぶりだったし、“ 俵屋 ” も久しぶりだったので誘いに乗ることにする。 京都麩屋町姉小路、文豪川端康成が愛した “ 柊屋 ” と向かい合って “ 俵屋 ” は在る。 作家は、 “ 柊屋 ” を何事にも控目な宿と評したそうだ。 その控目加減で言うと向かいの  “ 俵屋 ” は、それ以上だろう。 しかし、そうした究極に控目な宿屋の評判は、驚くほど高い。 おおよその贅を知り尽くした世界の上客が、つまるところ “ 俵屋 ” が一番の宿屋だと言う。 Steve Jobs、Tom Cruise、名前をど忘れしたが BOSS珈琲のあの宇宙人も、皆がそう言う。 なにをもって、そこまで心酔させられるのだろう? 幾度かこの宿屋で床を敷いてもらったが、そこがよく分からない。 妙な話だけれど、そのよく分からないところを気に入っている。 ” 俵屋旅館 … 続きを読む

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五百一話 壱岐の島は、こんなとこです。

食を目当てに、他にはなんの期待も抱かずここまでやって来たけれど。 この國には、変わらず守られてきた姿が今尚あるのだと知った。 一三四平方キロの島まるごとにそうなのだから、ちょっとした驚きだろう。 壱岐の島は、未開の地ではない。 古代よりひとが暮らし他所との交易も盛んで、隅々にまでひとの手が及んでいるはずの島なのだが。 律令制度で統治されていた頃。 駐屯した東国の防人が目にした風景と、いま眼前にあるそれとさほどの違いはないのではないか。 そう想わせる不思議な空気感が漂っている。 断崖の景勝地に立っても、案内板もなければ、注意書きひとつもなく、安全柵すらない。 この興醒めさせない配慮の無さが、とてもありがたい。 で、壱岐の島は、こんなとこです。 日出 日没 干潮 満潮 壱岐牛 屈指の子牛産地で、壱岐で産まれ育った子牛は島外へと。 その後、主に松坂などで成牛となり、銘柄牛として高値で取引されるらしい。 すこし哀れなはなしではあるが、霜降りで味は良く値は安い。 漁船 壱岐の漁船装備は、まるで軍用だと言われるほどの性能を誇る。 また、かつて帝国海軍の操艦を鼻で笑った技術は今も健在なのだそうだ。 北の大間、南の壱岐と称される鮪船団は、南での漁を終えると獲物を追って北上する。 烏賊釣船も、同じく北へと向かう。 やはり、玄界灘の荒海で鍛えられた漁師は腕前が違うのだろう。 すべて一本釣りが、壱岐漁師の掟だと聞く。 鮪、烏賊、クエ、鮑、雲丹、サザエなど。 醤油はつけず、壱岐産の塩で食う。 どんなに大枚を叩いても、都会ではまず口にできない贅沢な味だ。 島のひとから聞いた言葉がある。 ” この島ですべてを賄って生きていけます ” 真実なのだと思う。 だから、変わらない。 旅を世話してくれた壱岐出身の知人に。 大阪なんか引き払って、とっとと故郷に帰れよ!  

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五百話 一支國へ

長年身体の調子を診てもらっているおとこがいる。 ある日のこと。 その日も朝から具合が悪く施術を頼んだところ。 「蔭山さん、烏賊とサザエ食べますか?」 「あのなぁ、俺、調子悪いって言ったよねぇ、そもそもいつから料理屋に鞍替えしたんだよ!」 「いや、採れたてのを実家の親父が送ってきたもんだから」 親父さんの手前もあって食ってみた。 旨い! 瀬戸内のそれとも、日本海のそれとも、まるで違う味と歯応えに驚く。 箱にあったすべてを平らげてやった。 「あぁ、なんてことを、まだスタッフで一口も食べてないのもいるのに!」 このおとこの実家というのが壱岐で、烏賊とサザエはそこからやってきた。 こんな魚介がふつうに食える島って? 聞けば、それだけではく、牛、鳥、米、酒から、塩や醤油に至るまですべての食材が一級品らしい。 「俺、壱岐にいってくるわ」 「えぇっ!遠いですよ、もしほんとにいかれるんなら、叔父に飯屋の手配とか連絡しときますけど」 叔父さんは、大阪在住で壱岐の観光関連の役員をされている方らしい。 そんな心強いはなしもあって、とにかく壱岐へと向かうことにした。 お隣りの対馬とともに国境の島とされている壱岐。 島の歴史はとても長い。 この国の号が、日本と定められるはるか昔の古代より連なっている。 史書には、 倭国の島国である一支國との記述もあって。 日本古代史に於いては、珠玉の存在なのだという。 まぁ、あんまり興味ないけどそうなのだそうだ。 こっちは、食気に駆られてだけの旅だから。

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四百九十九話 博多千年煌夜

霜月の初日。 博多の鎮守古刹が粋な灯に包まれる。 煌夜に浮かぶ十二の寺社を、博多っ子は巡って夜長を過ごす。 そこに物見のよそ者も加わるのだから、賑わいはちょっとしたものだ。 この博多千年煌夜と名付けられた催事は、難しい神事や仏事に由来したものではない。 秋の夜長に飲んだり食ったりしながら灯りを巡れば楽しいんじゃないの? ただそれだけの話である。 「よか?」「よかよか!」 博多弁は短く、博多人は素早い。 そうと決まれば、寺社は場を、町衆は労を、商人は銭をといった具合にあっという間に事は進む。 そして、その仕上りは半端ない。 なので、ちょっと覗いてみることにする。 実は、この日が博多千年煌夜初日とは知らずに訪れたものだから。 飯屋の予約もあって、十二の寺社すべてを巡っている余裕はない。 で、博多っ子にお薦めを訪ねてみた。 「みんながよう見よるんは此処と此処やけん」 「 うちも去年見よったけん、ばり良かったったい」 萬松山 承天寺 南岳山 東長寺  おねえちゃんのお薦めを堪能して。 中洲川端の名店 「 いろは 」 で博多名物水炊きを堪能して。 中洲をぶらつきながら、博多の守護へ。 博多総鎮守 櫛田神社  夏、博多祇園山笠の曳山は、ここ櫛田神社から博多の街へと駆け出す。 まさに博多人の矜持を象徴 する聖地である。 すべてを町衆が取り仕切る街、博多。 これほど見事に自治を貫いてきた街は他所にはないと想う。 博多は、ばりよかとこです。      

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四百八十三話 由比ヶ浜伝説

街場の店主から語られる物語の舞台は、大抵がその店屋だ。 舞台がなくなってしまっては、物語の値打ちも失われてしまう。 旅先で供される旨い地物に箸をつけながら。 ほら、まさに腰をかけておられるその席から.......。 などという至極のひと時を偶然にも過ごせたなら、得難い幸運に恵まれたといって良いと思う。 ここ由比ヶ浜に通うようになったのも、そうした幸運が重なったからかもしれない。 湘南の小さな街の小さな名店には、昭和の伝説がひっそりと継がれている。 無頼派作家と銀幕女優との仲を結んだ小花寿司の店主、三倉健次さん。 昭和とともに消えた「なぎさホテル」を語る獨逸料理屋 Sea Castle の女主人、Karla 婆さん。 相応に癖は強いが、僕にとっては、かけがえのない店屋であり人でもある。 しっとりと落ち着いたこの浜も、桜が咲き始めると賑やかになり、夏にはひとで溢れる。 できればそうなる前に訪れたい。 いつものように Manna で晩飯を食う。 この Manna の女料理人 原優子さんは、以前 Nadia という飯屋を長谷で営まれていた。 Nadia 時代から、伝説の女料理人が湘南にいると噂されるほどの腕前で、文句なく絶品の味だ。 まぁ、こちらの方の伝説は、語るより調理場での彼女の仕事振りを眺めたほうが分かりが良い。 忽然と姿を消すひとらしいが、今なら間に合う。 この歳になっても早食いは治らず、宿に帰るにはだいぶと間がある。 そういや、閉じられていた湘南屈指の名門 BAR が、再開したと聞いた。 駅としてはひとつ鎌倉寄りの和田塚だが、由比ヶ浜のと言っても間違いではないほどに近い。 THE BANK ひと通りも絶えた薄暗い路を駅から浜へと向かうと三叉路に行き当たる。 中洲に乗りあげた朽ちかけの座礁船のような風情で、もうすでに建物自体が異形の様相である。 家屋ほどのちっちゃなビルで、灯が妙に怪しい。 これが、あの聞こえた … 続きを読む

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