月別アーカイブ: July 2015

三百九十一話 二◯一五年秋冬物を始めます。

Musée du Dragon をいつまでやるのか? そうやって気に掛けて戴けるのはとても有難いたいのだけれど。 毎日のように訊かれる。 正直に言って、何年何月何日と決めているわけではありません。 というよりなかなか決められないでいる。 四◯年近く同じ場所で同じような商いをやっていると。 「じゃぁ、この辺でやめときます」 「はいそうですか」 とはいかないみたいだ。 もっと簡単にとっとと幕を引けると思っていたけど考えが甘かったようである。 しかし、早晩やめるという腹には変わりはない。 だから、稼業に対する気構えもこれまでと少し違ってくる。 服屋の商いは、店主のやりたいようにやっていれば良いというものではない。 好きでやりたい事と、嫌でもやらなければならない事を天秤に掛けながら商っていくものだと思う。 二割がやりたい事で、八割がやらなければならない事。 振返ってみればそんな感じだったんじゃないかなぁ。 でも、これから先は少し我を通させてもらいたいと考えている。 やりたい事をやりたいようにやりたい人とやる。 また、この国の職人が置かれている環境を想うと今やらなければもう後がないような気もする。 まぁ、ロートルのポンコツがやることなので、どこまでの出来になるかは保証できないのだが。 期待せず気軽にお付合いください。 さて、そんななか二◯一五年秋冬を始めさせて戴きます。 幕開けは The Crooked Tailor の狂った逸品からです。 素材の不思議な凹凸感は、六層に重ねて織ることで生まれます。 六重織ガーゼ素材? 仕立てた後、一点一点アトリエで自らの手で縮絨したらしい。 もうつける薬すら見当たらないくらいに病んでいる。 シャツなのか?ジャケットなのか?編物なのか?織物なのか? 意味不明のアイテムではあるが、抜群の着心地を実現している。 創ったのは、仕立職人でありデザイナーでもある中村冴希君です。

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三百九十話 ゴジラの里帰り

年が明けて二◯一六年、一二年ぶりにゴジラが日本に帰ってくる。 二◯一六年新作 “ ゴジラ ” 本作が、日本特撮映画最後の砦となるような気がする。 映画製作に於いて、米国の巨大資本と対抗しようなんてあまりにも無謀としか言いようがない。 製作費も、製作時間も、比ぶべくもない。 爆撃機に竹槍で挑んだ七◯年前の出来事を思わせる。 それでも、僕はこの作品に最大の敬意を込めて期待している。 どんな始末に終わろうとも、どんなものを観せられたとしても、文句は言わないと決めている。 脚本・総監督を庵野秀明氏が、監督・特技監督を樋口真嗣氏が務められる。 このおふたりで駄目なら、日本の空想特撮映画はもうお終いだろうと思う。 だったら諦めもつこうというもんだ。 一九六◯年代に産まれ、特撮に出逢い夢中になって過ごした最後の世代が挑んでくれる。 もうそれだけで充分なのである。 封切りの日は、下ろし立てのパンツに履き替えて、心して劇場に向かいますよ。 ところで、この写真は特撮のワン・シーンではありません。 Musée du Dragon の “ Crocodile Coin Case ” です。 上質の Baby Crocodile 革を素材としています。 材料が入手出来たので、また取扱いを再開することにしました。 たかが Coin Case なのですが。 こんなものでも、ちゃんと納得のいく出来に仕上げようとすると手間が懸かってしまいます。 この国のもの創りの環境は、日に日に厳しくなっているというのが現状です。 特撮でもなんでも、ひとの手で創る仕事の未来は決して明るくない。

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三百八十九話 猫にお道具

はぁ〜、どうしよう? 十世 三輪休雪、十一世 坂高麗左衛門、吉賀大眉などの面々。 昭和を代表する萩焼の名陶の方々である。 人間国宝や文化功労者として称された陶芸家が遺した名器が、こうしてあるのだが。 至極残念なことに、僕は茶の湯を嗜まない。 煎茶すら飲まない始末だ。 こんなことなら習っておけば良かったと悔いる気持ちもあるが、もう遅い。 そういや小学生の頃、親父に連れられて萩の窯元を巡ったことがあった。 巡る道中、あれこれ聞かされたのを薄っすらとではあるが憶えている。 “ 萩の七化け ” という表現がある。 萩焼の魅力は、焼きしまっていないやわらかな肌触りや素朴な素地にあるとされている。 表面の釉薬が割れることを貫入と言うのだが、その貫入がもとで長年使い込むと茶渋が浸み込む。 茶渋の浸透によって器表面の色合いが変化し枯れた味わいになるというのだ。 どうなのかは知らないが、七化けというのだから七段階くらいの変容があるものなのかもしれない。 親父は、ひとつの茶碗を好んでそればかりを使っていた。 箱書きの無い茶碗で、三輪休雪先生から直に譲られたものだったと聞く。 そんなだから、ここにあるものは使われた跡がない。 だったら、そのひとつの茶碗だけで用は足りようものなのだが。 そうもいかないのが道楽者というか数寄者の性なのだろう。 それにしても、厄介なものばかりを遺してくれる親父である。 こういった道具を、使わずにただ眺めて楽しむという趣味はない。 茶会で披露しようにも肝心の亭主が茶を点てられないのでははなしにもならない。 だとすると、所蔵する意味もないし資格もない。 使ってこその茶器だろうし、使ってこそ味わえる七化けなんだろうし。 やはり、茶の湯を嗜む然るべき方の手元へというのが筋なのだと思う。 今の時代、そんな数奇者どこにいるんだろう? とにかく探さないと。 あぁ、いちいち面倒臭ぇ〜。

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三百八十八話 桂米朝が愛した水飴

親子で喉の調子が悪い。 親子してちょっとしたことを大袈裟に触れ回る癖があって。 母親などは、ちょっと喉がイガイガしただけで咽頭癌だとか言って騒ぐ。 正直とてもうざい。 当の息子は知らぬ振りを貫いているのだが。 親切な他人のなかには親身になって世話を焼いてくださる方もおられる。 そして、こんなものを届けて戴く。 わざわざ探し求めてのことだったらしい。 綺麗な化粧箱に納められた水飴である。 尼崎の名産なのだそうだ。 大阪の鼻先に所在する尼崎に、こんな名物があるなんて聞いたことがない。 そこで、口に入れる前にちょっと調べてみた。 “ 琴城ヒノデ阿免本舗 久保商店 ” 箱にも描かれている琴城とは、かつての尼崎城の別名である。 阿免を飴(アメ)と読んだ時代があった。 ふ〜ん、尼崎城も知らないし、阿免は基督教の祈祷絡みかと思ったけど。 違った。 創業は一八七八年というから明治十一年で、一三◯年以上は経つ。 老舗のようだが、肝心の中味はというと。 砂糖は一切仕込まずに、厳選した餠米を蒸して麦芽を加えて寝かせる。 さらに、その絞り汁を煮詰めて飴にするといったもので、丸三日を要するのだそうだ。 発酵具合や火加減といった差配は、すべて現当主の久保勝さんの勘頼みだという。 食べ方というか舐め方についても書かれてある。 阿免は水飴状で、箸に巻つけてすくい口に含ませる。 ここですぐに箸を引き抜いてはいけない。 三◯秒ほど間を置くと、巻きつけた水飴がきれいに口内に落ちる。 そうなったところで箸を引き抜く。 早くに引き抜くと、飴が箸についたまま糸を引きながら伸びていき、服についてえらい事になる。 当主からの忠告ではそうなっているらしい。 それにしても、水飴だけで一三◯年もの歳月を刻めるものだろうか? どうやらその秘訣は、この阿免の効能にあるみたいである。 喉にもの凄く良いというのだ。 御贔屓筋もなるほどといった方々で。 漫才師、声優、アナウンサー、僧侶、神主、落語家、政治家など。 皆、声を商う稼業である。 この春旅立たれた上方落語界の恩人にして人間国宝の桂米朝さんもこよなく愛されたのだそうだ。 そういや尼崎にお住いだった。 米朝の十八番と言えば … 続きを読む

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三百八十七話 ほんものの華人食堂

特技というほどのものではないが、意外と便利な才に恵まれている。 旨い飯屋とそれほどでもない飯屋と不味い飯屋を、外観から判別できるという才である。 有難いことに、これが滅多と外れない。 余所の国の見知らぬ街でもほぼ大丈夫だと言って良い。 先日、日曜の夜更けに港街を徘徊していた折にも、その才がものを言う。 神戸の南京町は中華街としてよく知られているが。 華人達の多くは、其処から元町駅を越えてしばらく坂を登った界隈を住処としている。 かつては、中華同文学校もこの辺りに在った。 Toa West なんて小洒落た名で呼ばれるようになった今でも、その風情は名残として漂う。 妖しい異空間に迷い込みたければ、露地の裏を行けばそれも適う。 そんな露地の奥まった暗闇にポツンと看板の灯りが浮かんでいる。 妖しい、このうえなく妖しい、そして妖しくいけない香りがひとを誘う。 硝子が嵌ったアルミサッシのお陰で一◯坪ほどの店内が露地から見渡せる。 路といけいけで境のないこの安直な開放感がまた堪らない。 もはや露天の域に近いだろう。 そんな有様でも、パイプ椅子に腰掛けた客で店は満たされている。 連れ立って歩いていた嫁が言う。 「一応訊くけど、此処に入るって言わないよねぇ?」 「こんばんわぁ、空いてるかなぁ?」 「コラッ!オッサン!ひとの言うこと聞きなさいよ!って、もう座ってるじゃん!」 客は華僑と華人で占められていて、白人客もいたが香港かららしい。 隣席は台湾華僑一家が休日の卓を囲んでいる。 どうやら日本人は我々だけみたいだ。 「取り敢えず、鶏足の煮込み、海老雲呑、中華粽蓮の葉包み蒸し、叉焼饅をください」 「取り敢えずとか言ってるけど、さっきまで食欲ないとかぬかしてなかった?」 最初に運ばれて来た “鶏足の煮込み” を口にした嫁の表情がそれまでと変わる。 「えっ? 嘘でしょ? 八角茴香の香りがして、この味ほんものだよ」 港街で産まれ育って神戸の華人料理に馴染んだ嫁は、旨い中華飯に出逢うとほんものだと評する。 滅多に口にしない嫁の “ ほんもの ” を、久しぶりに聞いた気がする。 「うわぁ〜、中に家鴨の卵が入ってる、ほんものだぁ〜」 … 続きを読む

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