六百十二話 Tottori LOVE !

太平洋側の神戸から日本海側の鳥取へ。
うすら暗いどんよりとした空と荒れた海を期待していたのだが、まったく鳥取らしくない晴天。
従姉妹によれば、こんな冬日はめずらしいのだそうだ。
鳥取に暮らす従姉妹は、阪神間の郊外からこの地に嫁いでもうずいぶん経つ。
そして、冬になると、言ってはならない呪いの言葉をきまって口にする。
「報道で越後の豪雪が話題になって、その映像を観るのがわたし大好きなんだぁ」
「ほんとにお気の毒で、こんなのに比べたらどってことないじゃんって思える」
「もう心の支えよ、それ無しで冬は越せないってほど大切」
だったら留萌や網走はどうなんだって話だが、従姉妹にとってはなぜか越後がお好みらしい。
悪態は天候だけにとどまらず、季節を限定せず年中口にする言葉もある。
「 言っときますけどねぇ、な〜にもありませんよ、此処には!」
これは、従姉妹に限らず鳥取人がよく言う自虐ネタだ。
Seven-Eleven や Starbucks がないだの、電車が走ってないだの、鳥取駅に自動改札がないだの。
たしかに Seven-Eleven や Starbucks は遅ればせながらやってきたが、あとのふたつは今もない。
「でも、砂丘と蟹があるだろう」
とか、他所者が言おうものなら。
「はぁ? 砂丘は、猿ヶ森砂丘の三分の一だし、蟹みたいな面倒臭いのわたしは食べないから!」
察するに、鳥取人は、なにもないというのを訴求したいのだ。
そういえば、大阪の大学に通う甥が、Seven-Eleven や Starbucks が鳥取に出店したと知った時。
「そっかぁ〜、遂にできちゃったのかぁ、そっとしといてくれたら良かったのに」
と、がっくり肩を落として残念がっていたのを思い出した。
こうして何度か此処を訪れて想うことがある。
この奥ゆかしさを一切伴わない自虐性は、なにかを秘匿したいがための方弁ではないのか?
訴えのとおり、鳥取の地にはなにもないのか?
いつも通り鳥取自動車道を北上し、途中川原サービスエリアに立ち寄る。
このサービスエリアには道の駅が併設されており、そこが “ 食の魔窟 ” への入口だ。
駐車場脇の屋台で、鶏肉を串に刺して焼いている。
普通の焼鳥に比べ三倍ほど大きい鶏肉の塊が串に刺さっていて、タレではなく塩焼きだ。
最上級の大山地鶏はふっくらと焼きあがり歯応えもよく滅茶苦茶に旨い。
加えて、この塩だ。
香草を岩塩に配合したハーブ塩で、鶏肉の油に沁みて絶妙に香る。
訊くと、Michelin Guide 掲載店に卸す養鶏家が育てた鶏で、塩はそこのシェフ直伝によるらしい。
「おじさんの口から Michelin とか聞くだけで意外だけど、実は凄いんだね?」
「いや養鶏場は友達がやってて、俺は芋農家なんよ、休みの日だけ此処で鶏焼いてんの」
意味不明だが、このおっさんの焼く芋も口にしたことがないほどに旨い逸品だ。
はなしは長くなって恐縮だが、これは魔窟のほんの入口でまだまだ続く。
寂れきった温泉街の長屋には、磨き抜かれた焙煎機が据えられ、高級珈琲豆を焙煎している。
「酸味の強いの苦手だから、そうじゃないやつなんか勧めてくれる?」
「 じゃぁ、Nepal 産 Annapurna でどう?」
「じゃぁ、よくわかんないけど、それで」
「ところで、おねえさん、こんなとこでひとりで焙煎してて暗くなったら怖くない?」
「大丈夫!わたし此処生まれで此処育ちだから、お客さんは地元でないよね?」
「神戸からだけど」
「そう」
「遠方から来る客もいるの?」
「けっこう来るよ、前のパン屋さんなんてもっと凄いけど」
「えっ?あの小屋建ての小さいパン屋がそうなの?」
「天然酵母でほんと美味しいよ、そのパンとうちの珈琲がわたしの朝の定番」
「温泉に浸かって、毎朝それって、贅沢で洒落た暮らしでけっこうだよなぁ、羨ましいよ」
「まぁねぇ、そうかもね、今日はパン屋閉まってるけど、また是非行ってみて」
これも、なにもないと言う鳥取人の暮らしぶりのひとつだ。
独逸人醸造家がこぞって訪れる薪釜でパンを焼き、地ビールを醸造している智頭の山奥に在る店屋。
日米首脳会議の食卓に田村牛を提供する道端の精肉店。
回ってさえいなければ都会で倍を超える値はつくであろう回転鮨屋。
日本海の幸を余すところなく供する元漁師が営む料理屋。
惜しみなくスパイスを練り込んだ Stollen をあたりまえのように並べる街の洋菓子店。
数日彷徨くだけでも、これだけのモノに出逢える。
それでも、当の店屋は言う。
「またまたぁ、都会だったらもっと良い店いくらでもあるじゃないですかぁ、此処は鳥取ですよぉ」
「 な〜にもありませんからぁ!」
まったくもって、不可解で嫌味な種族だ。
帰宅後、従姉妹がリハビリ施設を一時退所する無類の蟹好きの母親宛に蟹を送ってきてくれた。
まだ元気に動く蟹を捌いて鍋に、親蟹は炊飯器にぶち込んで蟹飯に。
無言で蟹と格闘して、二杯の蟹をきれいに平らげた母親を眺めて想う。
「あんたも鳥取のおとこに嫁いでいれば、腹一杯の蟹を毎日食えたろうに、残念だったなぁ」
棲まうところは、ひとの生きる糧を左右する。
俺も考え時かもしれない。

鳥取の岸壁に洒落た小屋でも建てて、そこで幕引きにしてやろうかなぁ。

 

 

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