月別アーカイブ: March 2018

五百十一話 名残りの珈琲

五百十話「異人街」の続きです。 神戸山本通りを東に向かいながら、ハンター坂までやってきたけど。 ねぇなぁ、喫茶店は。 こうなったら、坂を下っていつもの「にしむら珈琲」にした方が良いかもしれない。 ハンター坂が山本通りに突き当たる角に一棟の旧い雑居ビルが建っている。 昔から建っていて、店子は入れ替わっているものの今もまだ建っていた。 そして、外階段の上り口には、「坂の上の珈琲店 BiVERE 」の看板が。 このビルに珈琲屋なんてあったかな? あったような気もするし、なかったような気もするけど、とにかくここに入ろう。 もう煙草が吸えて、珈琲が飲めれば、それだけで良い。 二階に BiVERE は在る。 神戸の旧い喫茶店にはよくありがちな木調の構えで、取立ててどうということはない。 扉を開けると亭主が、カウンター越しに。 「煙草吸われますか?」 あのなぁ、俺が平成生まれに見えるのか? どっから眺めても昭和の遺物を背負ってうろついてるおっさんだろうが! 俺らにとっては、喫が七割、茶が三割で、喫茶店なんだよ! 「いや、なんか吸われるみたいだったんで、それならカウンター席にってことで」 「実は、わたしも吸うんで」 実はって、告げるほどのことなのかよ! 「もうこの辺りも駄目だな、まともな喫茶店ひとつもないよなぁ」 「あぁ、やっぱりお客さんもですかぁ」 「いや、そうやって愚痴りながら此処に流れ着く方が時々おられるんでね」 「たいていお客さんくらいの歳で、風体もそんな感じで」 「もう常連の社長さんにそっくりなんで、入ってこられた時ビックリしたくらいですよ」 「そいつもロクな奴じゃないだろ?客の筋は選んだ方良いよ、でないと店潰れんぞ」 「そっかぁ、それでうちしんどいんだぁ」 笑ってる場合かぁ! 「こんな坂の上の喫茶店には、なかなかひと来ないんですよ」 「そこまで分かってんなら、なんで此処なんだよ?」 「だから、お客さんみたいな昔の北野はって愚痴るひとのために、なんとかやってんですよ」 「雇われの身だったんですけど、オーナーがやめるって言うんで、俺が買取って続けることに」 「前のオーナーは、またなんで?」 「儲からないからやってられないって」 「まぁ、都合俺で三人目なんですけど」 「えっ?その前にも喫茶店此処でやって儲からなくってやめたひといんの?」 … 続きを読む

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五百十話 異人街

  “ おとな ” という言葉をよく耳にする。 “ おとなの ” とか “ おとなな ” とか、おとなを謳い文句にして何かを訴えたいのだろうけれど。 上等のおとなだけを相手にして飯が食える商いなんて、もうこの国にはないんじゃないかなぁ。 そもそも上等のおとながいるかどうかさえも怪しい。 つくづくみっともない次第になったもんだと想う。 もっとも、その次第を招いたのは誰あろう俺たちだ。 あの怖くて、無茶苦茶で、格好良かったかつてのおとな達を真似ようとしたんだけど駄目だった。 春節祭の神戸元町。 喧騒の中華街が我慢できず坂を登って北野町へと逃れた。 神戸北野町には、ふたつの違った顔がある。 ひとつは、異人館目当ての観光客で賑わう昼の顔。 もうひとつは、会員制の BAR やマニアックな飯屋や休息専用と書かれたホテルといった夜の顔。 怪しげな夜の顔は、昼には覗き見ることさえかなわないといった不思議な街。 北野町という箪笥には、昼の引出しと夜の引出しがあって、同時に開けられることは決してない。 学生当時、嫁が異人館で広報案内のアルバイトをしていた縁で、よくこの街をうろついていた。 たまに通ったあの喫茶店は、まだあるのだろうか? 低層アパートの二階。 剥き出しのコンクリート壁にモノクローム写真が掛けられただけの装いで、それがまた洒落ていた。 家業が休息専用ホテルという友人が、この界隈にいて。 よく受付でアルバイトさせてと頼んだけど、一度も雇ってくれなかった甲斐のない奴。 そいつの話では、喫茶店のオーナーは若い写真家だったらしい。 色のない写真を眺めながら、流れるボサノバを聞き、煙草と珈琲が混ざった匂いを嗅いで過ごす。 くだらないガキに、ちょっとおとなになったと勘違いさせてくれた。 低層 アパートは、汚く古びてはいたけれどまだあって、Café OPEN の札が掲げてある。 扉を開けた。 … 続きを読む

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五百九話 仕立屋の帽子

もうずいぶん前から、帽子を年中被っている。 ほぼ被らない日はないくらいに。 数も Béret 以外だいたいの型を持っていて、その日の気分で選ぶ。 似合う似合わないはあるのだろうけれど、そういったことはあまり気にしない。 被ってさえいれば落ち着くといった具合で、まぁ、下着の感覚に近いような。 それに、ボサボサの髪でも、被ってさえいればわからない。 帽子が流行りだしてから売上が落ちたと散髪屋が嘆いていたから。 無精な帽子愛用者も結構いるのだと思う。 職業的な興味も帽子にはある。 平面の布を、様々な製法を用いてここまで立体的に仕上げる技は服屋にはない。 正しくは、近い技はあるのだけれど、そこまでする必要がないのかも。 とにかく、ちゃんとした帽子を仕立てるとなると、服とは違った高い技術が要求される。 だから、服屋が創る帽子はあまり信用してこなかった。 店で扱う帽子も、そのほとんどを帽子職人に依頼してきた。 ちょうど一年前、The Crooked Tailor の中村冴希君から Hat を創りたいという話を聞く。 一流の仕立屋としての腕は補償するけど、帽子となるとちょっとなぁ。 で、Full Hand Made だとしても、値も結構高けぇなぁ。 そう思ったけど、本人がやるというのだから敢えて止めることもない。 だいたい止めたところで、他人の言うことに耳なんて貸す相手ではないことを知っている。 そんなやりとりをすっかり忘れていた先日、箱に納められた帽子がひとつ届く。 冴希君の帽子だ。 クラウンが奇妙に高い Bucket Hat のような Mountain Hat のような。 また、変なものを。 とりあえず被ってみる。 驚くほど被りやすく、絶妙の締め付けで心地よく頭部におさまる。 … 続きを読む

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