月別アーカイブ: April 2013

百九十話 新世界の仕事人

⎡ねぇ、あれ何?⎦ ⎡なに言ってんの、通天閣だろ⎦ ⎡マジでぇ〜、ナマ通天閣デビューじゃん、でも低くっ〜⎦ ⎡やめろよ!浪速の誇りだぜ⎦ 大阪市立美術館の正面玄関で嫁が騒いでいる。 ⎡ちょっと案内してよ、アンタこの界隈詳しいんでしょ⎦ 叔父が通天閣の下で劇場を経営してたこともあって、ガキの頃にはよく訪れた。 ⎡だけど三十年以上も前の話だからもう変ってるんじゃないかなぁ⎦ 美術館から歩道橋を新世界方向へと向かう。 ⎡どっこらしょっと⎦ ⎡アカン!アカン!パンツ丸見えになるやんかぁ!⎦ もう、すっかり丸見えなんだけど。 女子中学生が、ジャンケンで勝った方をおぶって歩くという遊びを橋の上でやっている。 一体、いつの時代の遊びをやってるんだ? その脇を、白無垢の花嫁と紋付袴の花婿が通り過ぎてゆく。 花嫁のお腹はパンパンに膨らんでいる。 白無垢より分娩衣に着替えた方が良いんじゃないの? っていうか、こんなところで、そんな格好で、なにやってんの? 歩道橋を降りて横断歩道を渡れば、そこは新世界商店街である。 ⎡ちょっとぉ〜、あのおじさん、オシッコしちゃってるよ⎦ ⎡信号待ちのついでにやってんじゃないの?⎦ ⎡………………………… 。⎦ 商店街に入ると、嫁は右見たり左見たりしながら目を丸くしている。 ⎡やっべぇ〜、河豚が空飛んでるよ⎦ ⎡ “ づぼらや ” の行灯だろ、写真とかで見て知ってるでしょ?⎦ ⎡うん、でも空飛ぶ ナマ河豚は初めてだから⎦ ⎡だから、行灯だって⎦ せっかくなので、ジャンジャン横丁にも足を向けてみることにする。 ⎡ねぇ、この辺りの人って串カツ好きなの?⎦ ⎡あぁ、二度付け禁止ってやつだよ⎦ ⎡それ聞いたことあるわぁ⎦ ⎡喰ったことないんだろ? この際、ちょっと喰ってみる?⎦ ⎡喰わない!⎦ … 続きを読む

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百八十九話 恩師の予見

僕は馬鹿だが、昔はもっと馬鹿だった。 なんせ嫌いな事は頑としてしない達だから、勉強なんて出来っこない。 そんな人間が大学でひとりの教授に出逢った。 磯博先生。 不世出の日本美術史家と謳われた源豊宗先生の後を継いで名誉教授にまでなられた学者である。 文化庁も認める我国きっての文化財保護功労者でもあった。 描いた拙い絵をたまに見て貰ったり、 古書店巡りの荷物持ちをしたり、先生の飲屋通いのお供もさせていただいた。 ⎡おまえ、そんなに絵が好きなら専門課程で俺のとこに来ないか?⎦ ⎡先生無理ですよ、俺馬鹿だから編入試験受からないですよ⎦ ⎡とにかく受けてみろ!⎦ 助教授の先生から後で聞いた。 僕の至らない点数のせいで、教授会の席上何度も頭を下げられたらしい。 だから、晴れて先生のもとで学ぶ事になってからは真面目に励んだ。 その時は、恥ずかしいのでひとには言わなかったけど生涯で一番勉強したんじゃないかと思う。 せめて論文だけでもちゃんとしないと、先生にまた恥じをかかせる事になる。 先生も所蔵されている貴重な書籍を惜しみなく貸して下さった。 古書店に持込めば、ひとが半年間憂に暮せる値のものもあったと思う。 それらの中に、岡倉天心が曽我簫白について論じた本があった。 岡倉天心は、日本美術院の創設者で近代日本における美学研究の頂に君臨する明治期の学者である。 また、米国に於ける東洋美術品の収集家として名を馳せた Ernest Fenollosa のもと、 ボストン美術館で東洋美術部長を務めた人物として知られる。 岡倉天心は、その中で曽我簫白の作品をことのほか高く評価している。 しかし、国内研究では異端とか奇才とか評され、画系としても本流から外れた存在に過ぎなかった。 そもそも、桃山期に始まったとされる曽我派は、簫白登場時にはすっかり廃れてしまっている。 作品自体も公聖寺に残る簫白の代表作 “ 寒山拾得図 ” はさすがに知られているが、 それ以外となると簫白愛好家を除けば一般的にあまり知られていない。 評価低迷の時期が長く続いたせいか、真贋定まらぬ作品も多くある。 ⎡曽我簫白ってどうなんですかねぇ?⎦ ⎡君はどう思う?⎦ ⎡精緻を極めた日本画の筆法とはほど遠いというか、荒いというか、雑な感じというか⎦ ⎡記述には白隠慧鶴の禅画や墨蹟の影響とありますけど、なんか人を喰ったような感じがしますけど⎦ ⎡まぁ、君の表現は、あいかわらず稚拙だけど明治以降今に至る評価はそんなところだろう⎦ … 続きを読む

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百八十八話 ANSNAM の極み

⎡去年の暮からとんと blog に登場しないけど、無事でいるのか?⎦と訊いてこられた方がおられる。 世の中には奇特な人がいるもんですなぁ。 ⎡まぁ、これが残念なことに、ちゃっかり、しぶとく生きてるんですよ⎦ ANSNAM デザイナーの中野靖先生である。 一年ほど前から、あるコンセプトに基づいて一緒に服づくりをしている。 まぁ、コンセプトと言っても単なる思いつきみたいなもんなんだけど。 それに、僕はアシスタントの身分だから口は出すけど手は出さない。 このコンセプトは、口で言うと至極簡単なので僕としてはとても気に入っている。 ⎡糸から仕立まで、ぜ〜んぶ人の手で服を創ってみたら?⎦ ⎡以上です⎦ ⎡あのねぇ〜、いったい僕を誰だと思ってんですかぁ?⎦ ⎡中野靖だろ?⎦ ⎡いや、そういう名前的な話じゃなくて、立場的な事を言ってんですよ!⎦ ⎡そういう事は、デザイナーの僕が決めるんですよ!⎦ ⎡ふ〜ん、だから僕はアシスタントの立場で進言申し上げてるつもりなんだけどねぇ⎦ ⎡どっから目線のアシスタントなんですかぁ?⎦ ⎡そんな厄介な仕事を、結局一から十まで僕がやることになるのは目に見えてるじゃないですかぁ⎦ ⎡そうだよ、俺は、そうやって口先だけで半世紀無事に生きてきたんだから⎦ ⎡それともなにかぁ〜、テメェ、俺の生き方に口でも挟もうっていうのかよ!⎦ ⎡あぁ、もういいですよ、ほんと面倒臭いなぁ!⎦ ⎡で、結論としてどんな服が望みなんですか?⎦ ⎡知らねぇよ!そんな面倒なことはぁ!それを考えるのがデザイナーだろうがよぉ!⎦ という有難いお言葉を授けて、後は果報を寝て待てば良いのである。 そうして、年が明けて、桜の花も散ろうかという頃にようやく仕立上がってきた。 手紡ぎ、手織り、手染め、裂き織り、そして Hand Taylor Made という服がである。 工程上の仕事を全て日本でこなした。 この時代にあっても、これだけの服が創れる土壌がこの国には残っている。 生地をお創りいただいた “ 日本ホームスパン ” は岩手県花巻市に在る。 菊池さんご一家が、厳しい雪国で三代にわたって育んでこられた正当な技術。 … 続きを読む

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百八十七話 Subculture Magazine 的な

なんか、出版業界も大変みたいだよねぇ。 特に、週刊誌も含めた雑誌出版物の落込みが激しい。 あんまり読まないからよく知らないけど、ファッション誌も例外ではなさそうだ。 女性誌ほどでないにしても、男性誌も休刊の名を借りた廃刊が相次いでいる。 “ high fashion ” “ BRIO ” “ HEART ” “ VOGUE HOMME JAPAN ” 等と有名どころも名を連ねる。 少子化やネット書籍の影響とか言われているけど。違うんじゃないの? 素人の私見だが、問題は中身だと思うけど。 平たく言えば、面白くないからって事に尽きるんじゃないかなぁ。 紙面の九分九厘まで服の写真ばっか貼付けといて、最後に⎡男のライフスタイルとは⎦って言われても。 ⎡うるせぇよ!どっから目線で生き方云々の話してんだよ!⎦となる。 服屋で、客に人生語る馬鹿はいないでしょ? さらに酷いのになると。 ⎡僕は、月曜から日曜日まで、こんなの着て、こんなの食べて、こんな車に乗って…………………。⎦ ⎡知ったこっちゃねえんだよ、テメェの暮し向きなんぞ興味ありませんから!⎦となる。 一九七〇年代中頃、それまでの雑誌の概念を越えた Subculture Magazine が創刊される。 平凡出版(現マガジンハウス)の男性誌 “ POPEYE ” である。 僕は、創世期の “ … 続きを読む

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百八十六話 でない!!!

まだ勤人だった頃、その事件は起こった。 フィレンツェに出張して、毎日毎晩取り憑かれたように Chianina 牛を喰っていた。 “ Bistecca alla Fiorentina ” フィレンツェの名物料理で、炭火焼きTボーン・ステーキである。 そして、二週間余りの出張を終えて帰国したその晩に腹に異変を感じる。 ⎡痛ェ〜⎦ 身体を丸めて腹を押さえて脂汗をかきながら嫁に訴える。 ⎡どうしたのぉ?⎦ ⎡腹が、腹がものすご〜く痛ェ〜⎦ ⎡大丈夫?救急車呼ぶ?⎦ ⎡呼ばなくてもいいけど、大丈夫じゃない⎦ ⎡よし、わたしが連れてってあげるからついといで⎦ って言われても、二足歩行は無理でハイハイしながら車に乗込む。 夜中の三時も過ぎた街中を救急病院に向けて猛スピードで車を走らせる。 大義を掲げた嫁の運転はほんとうに恐ろしい。 リミッターを振切るスピードで飛ばす。 ⎡俺、腹痛か事故かどっちかであの世行きかも⎦ 一軒目の病院は医師が緊急手術中で断られ、二軒目の病院へ。 僕を診察室のベットに寝かし腹を掌で押しながら医者が告げた。 ⎡そうとう便が溜ってますなぁ〜、原因はそれだね⎦ ⎡えっ?それって便秘?⎦ ⎡ちょっとぉ、いい加減にしてよね!ただの糞詰まりなのぉ?⎦ 医者が僕を庇うように嫁を諭す。 ⎡奥さん、便秘を馬鹿にしたら駄目ですよ⎦ ⎡御主人、ほとんど腸閉塞状態で、もし閉塞がこれ以上進めば意識が混濁することもあるから⎦ しかし、すっかり興味が失せた嫁の耳には届かない。 そして、医師の手で口にするのもおぞましい処置をしてもらった。 ⎡明日朝早いんでしょ、帰るよ⎦ ⎡俺、この調子で出社できるかなぁ⎦ ⎡なに言ってんのぉ! たかが便秘で会社休む馬鹿が何処にいんのよぉ!⎦ ⎡だよねぇ〜、でも、俺がヒヨコだったら完全にお陀仏だったところだよなぁ⎦ ⎡はぁ? あんた馬鹿ですかぁ? … 続きを読む

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百八十五話 十八番

長く同じ稼業に就いていると “ 十八番 ” と呼ばれる芸のひとつやふたつを宿すようになる。 五代目柳家小さん師匠の蕎麦をすする芸のような。 演目がなんであれ、小さんの贔屓筋はこの芸を一目見ようと寄席に足を向ける。 もちろん蕎麦をすすらない演目もあるのだが、やはり当代随一と謳われた名人芸は外したくはない。 小さんの演目でなにが好きだったか? と尋ねられれば ” 時そば ” を挙げるファンが圧倒的なんだろうと思う。 小さん師匠自身とすれば、どう受止めておられたんだろうか? ⎡俺は蕎麦をすするだけの噺家じゃねえんだぁ!⎦と思われていたのかもしれない。 実際、蕎麦をすすろうが、すするまいが、どの演目でも人間国宝の名に恥じない高座を務められた。 服飾のデザイナーに於いても同じような出来事がある。 “ kiminori morishita ” 時代のデザイナー 森下公則氏。 パリ・コレクションのランウェーでも話題になったアーミー・パンツがあった。 圧倒的な仕様の複雑さと加工で、ブランドのアイコン的存在として認知される。 Musée du Dragon でも、シーズンが始まる前からよく顧客様から訊かれた。 ⎡来期の kiminori morishita の軍パンってどんな感じですか?⎦ シーズンを重ねる度に御客様の期待は高まり、それに応えるように仕様はより複雑になっていく。 デザイナー的には、身につけた数あるテクニックのひとつにしか過ぎなかったのかもしれない。 しかし、購入する側にとっては違う。 御家芸みたいな、十八番みたいな、ここでしかない的な特別の想いを抱いていたように思う。 その後、森下氏は、“ kiminori … 続きを読む

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百八十四話 大福餅

三月も終わろうかという土曜日。 スタッフの女子は、花見に出かけて誰もいない。 嫁とふたりでしんねりと店の番をしていた。 ⎡誰も来ねぇじゃん⎦ ⎡今日と明日は、皆さん花見で家族サービスじゃないのぉ⎦ ⎡ふ〜ん、やっぱり花見って行くんだぁ⎦ ⎡私達も、あさってにでも “ 庭の桜 ” 見に帰ろうか?⎦ ⎡別にどっちでもいいけど⎦ 暇なのでふてくされて過ごしていると。 三時をまわった頃、宇治の方が明石の方と連立ってお越しになられた。 ⎡これ、みんなで食べて⎦ 大きな紙包みを差出された。 ⎡マジっすか?これ何ですか?⎦ ⎡シュークリームと苺大福だよ、結構旨いよ⎦ そこへ、いつもの顧客様と東京の御客様が来られる。 テーブルに一杯のシュークリームと苺大福を広げて、戴くことにする。 ⎡この抹茶味のシュークリーム美味しいねぇ⎦ ⎡さすが、お茶処 “ 宇治 ” ですなぁ⎦ ⎡なかなか、このシュー生地も上品だよねぇ⎦ ⎡それに、この苺大福マジ旨い⎦ もう服屋の体は完全に消失している。 立派な甘味処だ。 そうこうしていると、近所に住む顧客様も輪に入られて。 ⎡僕、何が好きって大福が一番の好物なんだよね⎦ ⎡服屋で、こんな大福に出逢えるなんて⎦ ⎡この苺の酸味との塩梅は絶妙ですよ⎦ ⎡そうでしょ、よろしかったらどんどん召上がってください⎦ って、全くの戴きものなんだけど。 晩方の御客様にも。 ⎡パンツで、なんか良いのあったら貰おうかなと思って来たんだけど⎦ ⎡パンツなんかいいじゃないですか 、それより大福如何ですか?⎦ … 続きを読む

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